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他人の目、気になりますか?

世の中の常識、ルール、

人の目が気になって、

好きな事をするのを

我慢していませんか?

 

人って、実は、みなが思うほど、他人のこと見てないものなんです

他人の目が気になってしょうがない人って

実は、ナルシスト

自分のことを、人が気にしていると思い込んでいることが多いんです

 

他人は、それほど、自分を気にしてないことに気づけば、

もっと、自由になれるのです

 

たとえば、こんな服を着たら、年甲斐もないっていわれるかな、とか

化粧濃いって思われるかな、

この髪型、おばさん臭くないかな、

 

いろいろ思うかもしれまんが、誰もそんなに気にしてません、、

思う存分、好きな格好して、好きな事して、

好きに人生謳歌していいのです

 

好きにやったもん勝ち、

たとえ、陰口たたかれたとしても、

気にしないと決めたら、誰も何も言わなくなります。

エネルギーを引かない、とでもいったらいいでしょうか

 

私は、外国に住むようになって、

ますます、それが加速して、

自由を楽しんでます

 

アラフィフィですけど、

ミニスカも平気ではきます、

だって、暑いし、

足、小麦色に焼きたいし、

それに、私、似合うから(w

 

 

キレイ、清潔の価値観は人それぞれ

人間のキレイの価値観

 

ある部屋をみて、

その家の人は

昨日片づけた!と言っても、

 

「まあまあキレイ」

と思う人もいれば、

「服やら物が置きっぱなしで汚らしい」

「部屋のすみのホコリ」が気になる人や

匂いが嫌だと思う人も

 

Aさんのキレイの価値観

Bさんのキレイの価値観

Cさん、Dさん・・・

誰一人同じではないのが普通です

 

家族や同居人に自分の価値観を押し付ける

潔癖症気味の人たち

Aさんは、

自分以外の足や手は汚いので、

家に上がるときに足を拭いてほしいとか

手を洗ってくれとか

(今はコロナ感染予防もありますのでしかたないですが)

どこにも汚いところに上がってなくても

靴が汚いので、その足で上がられると汚いそうです

 

そういうAさんは、同じスリッパを

全く洗わずにずっと履いています

十年来大切にしているブランドの靴も相当汚いはずです

お使いのスマホやらバック、どこかに置いたり、触ったりした後、

毎度毎度 消毒してなければ、きっとばい菌だらけですよ

 

フローリングの廊下は、

綺麗に拭き掃除もできますが、

何十年も使っている絨毯などどれだけ垢で汚れているか

 

家の中だって十分に汚いのに

 

とにかく、人のことは汚いのです

 

掃除の仕方にしても

人それぞれ、キレイの価値観は違うので

キレイになってない、気に入らないということになるのでしょうが

 

例えば、そういう人の場合

朝、水拭きしたキッチンの廊下

数人が使えば、半日でも床はうっすら汚れるのに、

昼過ぎに、こんなに汚いのに、どこを掃除したのだ

といったりするでしょう

 

そんなにピカピカにしなくても

あなたの足の方が汚いのですよ

足の裏からは汗をかき、

汚い絨毯を歩き回っているのですから

と言っても認めません

 

 

潔癖症は、ちょっとした心の病です

何か、満たされていないのですね

原因は人それぞれですが、

ご機嫌ではない、幸せでないのは確かです

 

 

家族にこのような人がいたら、

なかなか同居は難しいですね

 

こんな人でも、恋人ができたら、ガラっと人が変わったように、

寛容になった例もあります

愛が、心の病を治したのでしょうか?

 

愛は、地球を救う、なんていう言葉、

どこかで聞いたことありましたけど、

本当なんです

愛は、全てを救うのです💛

 

 

 

マルチタスクは効率が悪い

忙しい現代人

 

常に、より効率よく物事をこなすために、複数のことを同時に行う作業

マルチタスク

を私も子供のころから当然のようにしてきました。

 

テレビやスマホを見ながら、食事をするのは当たり前

お化粧しながらニュースを聴く

料理しながら電話・・・

 

テレビの情報番組などでも、

マルチタスクはボケ防止になる、

脳の運動になるなどと大々的に言っていましたし、

ネット検索などをしても、まだこの説が多数だと思います。

 

 

しかし、京都大学、英オックスフォード大学の研究グループが明らかにした事実は

なんと

真逆、脳にダメージを与える

という衝撃の結果だったのです。。

マルチタスク人間は存在しない。2つのことを同時にすると中途半端になってしまうことが解明(京都大学研究)

科学的根拠というのも、
実験者によって、結果が変わるという事実があるように、
実際当てになるかどうかは、疑問ですが、

私自身の経験から言うと、

シングルタスクをするようになって、

集中力が高まり、

複数のことを同時にしてミスが多かった時と比べ、

集中して1つのことをする方が

だんぜん効率の良いことが

しみじみと分かってきたところなので

なるほどその通りだと納得しました。

 

それに、思い起こせば、今までの経験からも、

ふむふむ、、と思うことばかりです

 

例えば
まだスペイン語がまだかなり怪しかった頃の
料理教室で

クラスの最中に
料理をしながら、

生徒のスペイン語での質問に答えること、

これは私にとって、とても大変なことであり、

非常にものすごいストレスだったのです

 

料理は焦げるわ、言語は出てこないわで、

本当に困りました

 

イギリスでのボランティア中も、同じく、マッサージをしながら、

まだスキルの低かった英語で答えること・・・

両方、ますますうまくいかなくなるんです

当時は、自分の実力のなさ、

頭の悪さが問題だと決めつけていました。

しかし、これで、本当に脳を少しずつ損傷しているとしたら、怖いですね

 

マルチタスクをすると脳を損傷!一つのことに集中すると生産力はアップする

高齢者向けの

痴呆症防止のメニューとして

右手と左手で違うことを同時に行う

などの脳トレをするという動画を見かけたばっかりだったので

ちょっとゾッとしました

逆に 痴呆症の危険を招くかも、、

 

テレビやインターネットの情報、

鵜呑みにしてはいけないと

ますます思わずにはいられなくなる

出来事でした・・・

 

人生の最後を牢獄で過ごしたいですか?

以前、日本は長寿大国

ではなく

実は

「寝たきり長寿大国」である

というお話をしました

 

介護人材が、大幅に不足し、多くの介護難民が出ると言われている

2025年問題

(2025年に団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に達する)

が、間もなくやってきます

 

 

介護士として、日本の老人施設で働いた経験についてお話します

 

「牢獄のようにまるで自由がない」

「飲みたくない薬を無理やり飲まされ、副作用で他の病気になる」

「まだ何とか歩けるのに、危なっかしく歩きまわるのを嫌がられて、車いすを強要されている」

「生きたい時間にトイレに行かせてもらえない」

「一度トイレで転んだら、オムツにさせられてしまい、お尻がかぶれて痛くてしょうがない」

「夕食が早すぎて(夕方5時)お腹がすいても、何も食べさせてもらえない」

「食事時にむせこんだら、危ないからと、点滴にされ、食事をたべさせてもらえない」

(胃ろうを勧められているが、口でゆっくり食べたいのに、介護士の浪々時間が増えるからわずらわしいらしい)

「水分量が決まっていて、のどが渇いているのに何も飲ませてもらえない」

「座りっきりで、足がいつもむくんでいて辛い」

「女性高齢者。みんなで裸で集団入浴させられるのに耐えられない、、男性介護士職員もいるけどお構いなし」

 

Etc

入所者の方たちの声です

 

家で一人でいるよりは、

人がいて安心だという方も少ないですがいましたが、

痴呆のないしっかりしたほとんどの方は、

不自由を通り越して、人権を完全に無視しているような、扱いではないでしょうか、、と私は思ってしまいました

 

 

このような介護施設には

自分は、将来、死んでもお世話になりたくないと思いました

 

家族や知り合いにも絶対に勧めたくないです

 

そこは、まさに 牢獄のようです

 

また、介護士人材が常に不足するわけもわかりました

 

責任が重く重労働

(事故があった場合の責任の重さ)

あまりの低賃金、

(2020年現在でも、地方都市で時給800円代でフルタイムで働いても手取り12万円ぐらいという驚きの安さの施設も多数ある)

ひどい待遇

(休みは日曜、祝日などほとんどフルタイムの場合は無理なうえ、サラリーマンのようなゴールデンウィークのような長期休暇はない、残業代はなし など)

 

入所者からのセクハラなどもあります

 

しかし一方で

入所者に悪態をついたり、

虐待ではないかとおもわれるような

言動の看護師や介護士もいました

 

このような皆が嫌がる汚い仕事もある

人助けをする仕事を

このような低賃金でしようと思った人です

元々心の優しい人だったはずと思います

長年の仕事の疲れやストレスで

心が病んでしまっているのかもしれません

 

 

看護師、介護士が精いっぱいやったところで

人手不足で、24時間一人一人にぴったり寄り添うのは不可能ですし

事故は時々起こってしまいます

 

高齢者でなくても

家の中でで転んだりするのは

たまに起こることですよね

 

ただ、高齢者の場合は、骨がもろかったりするので

骨折などの大ごとになってしまいます

 

なんでも施設のせいにする、

入所者の家族、

 

80代、90代で事故で亡くなっても

平均寿命で老衰で死んでもおかしくない年です

 

ろくに面会にも訪れずに

親の面倒を押し付けている人たちです

死にかこつけてお金が欲しいのでしょうか

そのために活躍する弁護士もたくさんいますね

 

事情はそれぞれあるかもしれませんが

自分の親や家族を

一生けんめい面倒見ていただいている職員に

感謝するどころか

文句ばかり言うまえに

看護師や介護士が直面している

人で不足の問題点にも着目してほしいです

 

 

介護士として働いた期間は

どうにも手におえない問題ばかりで

毎日複雑な気持ちで過ごしましたが、

大変、社会勉強になりました

 

 

現状では

老人ホームや特別養護老人ホームのような場所では

まだ少しは元気が残っていた高齢者を

事故などで賠償責任を取ることを恐れて

仕方なく

食べて寝て排泄するだけの

”虚しい老人”にするのを

お手伝いをするのが、

介護士の仕事

というように理解しました

 

 

 

入所者の中で

背中が丸く、クビが完全に垂れていて

顔を上げることが全くできなかった女性が

レイキと精神的に励まし、

姿勢をよくするためのエクササイズを教えて

一か月ほどで、普通に正面を向けるようになりました

始めて笑顔も見せてくれるになりました

 

お叱りを受けるので

周りにわからないようにやっていましたので

看護師や介護士たちは、とても不思議がっていました

 

しかし今までは生気もなく車いすの上でおとなしかったのに、

姿勢がよくなったおかげで

食事もしっかり食べるようになり

元気になって立ち上がったり

動き回られるので、迷惑がっていました

(涙)

 

しかし、その後も、何かにつけていろいろな薬を飲まされてしまうので

副作用で、昏睡していたり、

眠れなかったり、

容態が安定しません

 

 

他にも、手の動かなかった人

足のむくみがひどい人など

簡単なマッサージや運動などを教えたりして

症状がよくなったと喜ばれたにもかかわらず

「勝手なことをするな」と叱られたりしました

 

 

元気になると監視が大変になるので困る、

良くなることを禁止されるので、

入所すると急速に老いて寝たきりにさせられるのも

無理はないです

 

リハビリを少ししたところで、それを練習することができないのですから、

何の足しにもなりません

 

 

スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか 幸福度世界1位「北欧の楽園」に学ぶ老いと死

 

 

日本経済、少子化の若者を圧迫する

「高齢者の寝たきり問題」

これを根本的に解決するのは、

施設や介護士を増やすことではなく、

 

スウェーデンのように

高齢になっても自立して、元気に暮らせるようにすること

 

ただ食べて寝て排泄するためだけに

延命治療などされずに、

寿命がきたら

ピンピンコロリと、

人のお世話にならずに

自由に自宅で死ぬことではないでしょうか

 

そのためにも、

将来、介護されることを予想して貯金をするよりも、

好きな事をして、ご機嫌に過ごしたら、

人間はボケないのです

最後まで介護されない 高齢者になるべきです

 

年だからしょうがないは、

間違った常識、刷り込みです

 

 

 

 

 

 

 

 

ニュースに踊らされないで

またもや、デマのSNSにより、スーパーでの食品買い占め、売り切れ状態になっているそうです

このニュースを見て、またパニックになって事態は加速する・・・

どうしてこのようなことになるんでしょうか

 

 

誰かが買い占めをすることによって、今日必要な食品を買えない人が出てきます

イギリスのニュースでも、仕事帰りに食べ物を求めてスーパーに来たが、何も買えないかったと泣きながら訴えている人の映像を見ました

このような、コロナウィルスさわぎでも、職場にいかなければいけない人たち、

自宅待機できない人たち、

医療関係者、警備にあたる人、ケアワーカー、報道関係、行政の人たち、その他、買い物をする時間が限られている人たちが、スーパーに行ってももうそこには買えるものは残されていません

 

今回の「食料が買えなくなるかもしれない」というのはデマのようで、数日で、すぐに、また食料はお店に戻ったようです。

しかし、今回の件で、

実際そのような事態になった時

自分さえよければ

自分の家族さえ食べ物があれば

それでいいという、そんな人が多いことが浮き彫りになりました

 

 

南米はまだまだ貧しい人たちがたくさんいます

食べ物や服を困っている人たちに分け与える文化があります

自分たちも裕福でないのに、困っているときはお互い様、と見返りを求めずにそのような行いができるのですね

 

 

非常事態にこそ、その人柄、人格がわかるものです

恐怖心を、煽られないでください

食料は、実はたくさんあります

どの国も、それなりの蓄えはあるのです。

ニュース、マスコミの情報に、踊らされないでください

 

 

 

 

 

億万長者になったら・・・

あるアメリカの映画のワンシーンで

「もし億万長者になったら」・・・

 

 

ある普通の夫婦の妄想シーン

 

 

男性は

「プール付きの豪邸のジャグジーで裸の美女たちとシャンパン」

 

女性は

「ハイブランドの服や高級品、宝石などを買いまくる」

 

 

アルゼンチンのお笑い番組での妄想シーンでも 同じでした。

 

普通の価値観の人の脳では、

世界各国

男は「セクシー美女をはべらかす」

女は「物欲の鬼」

と化すわけですね

 

まあ、これが昔も今の変わらぬ人間の億万長者成功イメージなんですね

 

 

 

「英雄色を好む」などと

自分を「英雄」に見立てた成金実業家や有名人などが、

銀座のクラブで美女をはべらかせ、

「男の解消だ」などと正当化して

女の尻を追いかけまわしている輩がたくさんいますし、

お金のためには何でも売る女性たちもいます

 

 

中高年のお金持ちの男が、一緒に苦労した同年代の最初の妻を捨てて、若い美女と再婚する

「トロフィーワイフ」

お金で若さと美しさを買う老いた男と、金に目がくらんだ若い女、

条件の合ったお似合いのカップルですが

お金の切れ目が縁の切れ目の可能性はありますね

 

 

 

物質社会の現代では、

お金が一番大切と考えるのが

当たり前なのかもしれませんが

 

私は、愛を信じたいな、、、

愛だけは、やっぱりお金で買えないのではないでしょうか

 

女好きな男の人って、

性格なので、一生治らない気がします。

若さ、外見重視の人も、キレイな人なんて星の数ほどいるし、

一生、目移りししまくるのでしょう、

まあ、お金の続く限り、それが楽しくて生きているなら、しかたないのかな

 

 

 

 

 

アルゼンチンの素敵な習慣

日本の地下鉄、電車の中に座っている人たち、学生も社会人も、見渡すとほとんどの人が、眠りこけている、またはスマホに夢中になっている・・・お年寄りや小さい子供連れのお母さんが前に立とうと、お構いなしです。

妊婦マークをこれ見よがしにバッグにつけてる女性が、これでも席を譲ってもらえないと嘆いている話をよく聞きます

 

 

以前の私も時間に追われ寝る時間が少ない上に、慢性的な不眠症による寝不足で

通勤電車の中で座れるものなら休みたいという時期がありましたので、お疲れの皆さんの気持ちはよくわかります・・・

 

しかし、南米の人たちの素敵な習慣を見て、ちょっと自分は情けなかった、、と思うようになりました

 

 

アルゼンチンでは、バス、地下鉄や電車の中には、特に優先席はありません、

しかし、扉が開いて、年寄り、妊婦、赤ちゃん連れのお母さんが乗りこんできた途端に、若めの人々はいっせいに席を立って彼らに譲ります

必死に席取りをする元気な人たちなどいません

ちゃんと座らせる人をみて、それでも席が空いたら座るという具合です

彼らにとっては子供の頃から見てきた当然のマナーであり、弱者をいたわる習慣が身体に染み付いているんですね

 

妊婦さんやチビちゃんと一緒のお母さんたちは、当然!と言った態度で特に感謝の様子も見せず座ります

時には、かなりの年配から若い男性までが「セニョリータ座りなさい」などと席を譲ってくれるジェントルマンぶりです

 

 

インフレや治安の悪さなど、たくさんの問題を抱えている国ですが、暖かい心を持っている人がまだまだいるんだな、とホッとします

 

 

日本では、通勤ならば大都市在住の場合長くても片道1時間以内の辛抱だし、遠距離通勤でも郊外になれば電車も空いてきます

車内で席を譲ること、立っていることは、一日一善だけでなく、脚も鍛えるし、ヒップアップにもなります

私は背が高いので、つり革より上に手を伸ばしたりして背中や腕肩のストレッチをするのが好きです

片足立ちで筋力を鍛えたり、良い姿勢で立っていればそれだけでヒップアップに効果があります

立っていても本やスマホは見れます

寝過ごすかも、とハラハラしながら数分の仮眠をとるのに必死になるより

人のためになって身体にもいいのですから、やらない手はないです

 

 

実際、座る時間が増えれば増えるほど、お尻の丸みは潰されて形状記憶されて四角くなります

元気な女性の皆さんも、キレイなヒップラインを保つためにも、席を譲ってぜひ姿勢を正して立ってください

 

女性に比べあまり美意識のない日本人男性

運動する時間がないのなら、電車の中で足を鍛えてこっそり筋トレおすすめします

ジェントルマンが嫌いな女性はいませんし、口を開けて寝ている人より、ささっとお年寄りだけでなく、女性に席を譲る人の方が断然魅力的です

 

喜んでもらえるだけでなく、自分でも気持ちがいいものです

でも、できることなら、

「座りますか?」

と聞けたらいいと思います。

中には、

「席を譲られるほど、年取ってない」

と怒り出す人もいます

 

また、次の駅で降りるからいいです、と断れることもあるし、

 

いろいろ、事情がある場合がありますので、、

 

私は、男性に席を譲られたら、

「ありがとうございます」

って素直に喜んで座ります💛

 

 

片付けられない人に無理強いは禁物

私は、小さい頃、朝学校に出かけるのに、

運動着が、お気に入りのあのスカートが、ノートがない、と

常に物を探していて、その度に母に「ここにあるでしょう!」と叱られていました。

 

今思えば、

それは見つけられない私のせいではなく

実は、母は、片付けがあまり得意でなく、

物の場所決めをしない人だったので、

物が同じ場所にあることがなかったので、

いつも探し物を見つけることができなかったのです。

 

親の印をもらって提出などのプリントなどは、母も積み重なった本やら書類の中からいつも探していました。

 

母は典型的な買い物好きで、

物が多くて、

それを片付けずに並べておくタイプです。

 

大きな納戸やクローゼットなどに入りきらず、物がそこら辺中に並んでいます。

幸い家が以前よりもかなり広くなっているので、物が増え続けていても、すごい圧迫感はないのですが、短い期間でもこの家に滞在することがある時は、自分のものはすぐに自分の部屋に引き上げておかないと、勝手にどこかにおいやられてどこにあるかわからなくなります。

 

性格は変わらないですね。

 

残念ですが、どんなに素晴らしい片付け本が出回ろうと、お片付けのプロが指導しようと、片付けを必要と感じない人には無駄なこと、

片付けろと言っても、ケンカになるだけだということを、自分の仕事の経験からもいやというほど学びました。

母が亡くなった時に、片付けにどれだけの時間と費用がかかるんだろう… と気が重くなります。

自分はその反面教師で、片付けが趣味になりました。

 

 

 

海外に何年も住むのにスーツケース 2個で出かけて暮らせたことで、必要なかった物がわかり、また必要最小限の物で暮らすことの快適さに気づかされました。

レイキを始めたぐらいから、物への執着もめっきり減ってきました。

物が少ないとお片付けが楽なんです。

置物、絵画、物入れなども、目は喜びますが、

実は置いておくだけでホコリをかぶるので、掃除がめんどくさい。。。

物がクローゼットに入りきらなくて、物が床を埋め出すと、掃除のたびにそれをどかさなきゃいけないのでまためんどくさい。。。

根が不精なので、ミ二マリスト的な生活が楽なのかもしれません。

最初の海外生活は、ボランティアで節約生活だったので、

いかにものを買わずに生活するか知恵を絞っていたことが役立ちました。

 

 

コンマリさんや、断捨離の山下さんは、家族が片付けない場合、自分だけでも綺麗にしておけば、だんだん家族も感化してくると言いますが、

正直言って

実際はなかなかそうもいかないと思います。

人の性格って、そう簡単に変わりません

 

コンマリ本を読んではみたものの、結局片付けられなかった人、

無理に断捨離して大後悔する人、

一度は片付いても、また物が増えて片付かない人など、

結局失敗に終わる人も多いですね

 

私にも失敗談があります

すごい汚部屋(アパート)に住んでいた友人の家を、彼女の旅行中に、3日間ほとんど睡眠も取らずに片付け続けたことがあります。

彼女の家は、ロンドンの中心地にあって、たまに、近くに行った時に泊めてもらっていたのですが、足の踏み場もない、床が見えないほど物で埋め尽くされていて、私物を彼女の物で溢れたテーブルの上に置いたら最後、もう最後、見失ってしまう凄まじさでした。

ボランティア活動でお金がなかったので泊めてもらっていましたが、汚いし心地よくはなかったです。

テイクアウトのヨレヨレの使用済容器、賞味切れ何年も経つ食品、冷蔵庫や棚には腐っているものも多々あり、カビだらけに浴室なども汚くべとべとになった使いかけのシャンプーやボディケア類が何十本も物を置くスペースだけでは足りずにバスタブの周りすべてに並べてあり、キッチンもとても料理をする気になれない酷さでした。

彼女は医者でありながら、ひどい仕事の人間関係のストレスに悩まされていて、何十キロも太り、半ば精神病のようになっていたので、せめて住居が快適になればストレスが改善するのではと、ボランティアで片付けを申し出ました。

莫大な物たちをカテゴリー別に分ける作業をするスペースもなくとても大変だったし、捨てたくないという本人の希望を優先し、ほぼ掃除と片付けだけに絞ったのですが、限られた狭いスペースに、莫大な量の物を整理整頓するのが難しくて、何度も収納をやり直し3日間で充分だろうと思っていたのに寝る時間を惜しまないと終わらなかったほどでした。

カビだらけの壁やパスカーテンも新調し、汚いキッチンなども掃除してピカピカにして、大満足の私でしたが…

3日後に帰ってきた彼女は、喜んでくれるどころか、腐っていたものや賞味期限切れの物を捨てたことにものすごく腹を立て、その後、険悪の関係になってしまったのです。

好意のつもりが、こんなことになってしまって、自分もその時は腹を立ててしまったんですが、今思うと、価値観の違う人を変えようとした自分もいけなかったと反省しています。

良かれと思ったことも、その人にとっては迷惑でしかないこともあることを学びました。

これはコンマリさんが世に出る前の話ですが、小さい頃から、自己流で片付けが好きだった私にとっては、片付けは誰に教わったわけではなくても、すでにプロ並みの腕を持っていました。

 

もう一つの失敗談は、

1年半ほど前、アルゼンチンで、コンマリ本を読んで共感したので実家を片付けてほしいという女性の依頼で高齢の体の不自由な彼女のお父さんの一人暮らしの家を片付けました。

ご本人のおじいさんも、キレイにしてほしいとのことだったのですが・・・。

 

その広い家は、たまには娘、息子、孫たちが集まることはあっても、奥さんに先立たれてから十数年もほったらかしだったそうで、一見片付いているように見えたのですが、ふたを開けてみると、蜘蛛の巣、虫の食った食品、カビたもの、腐った食品、悪臭のする衣類や本、ゴキブリだらけのあまりにも汚いバスルーム・・・娘さんが依頼したかったのも無理もないゴミ屋敷でした。

しかし、始めてみると、娘さんがおじいさんに確認すると、なんでも”捨てたくない”の反発がすごくて片付けたい娘さんとサンドイッチになってしまい、、困ってしまいました・・・しかし、なんせ身体も不自由なので、娘さんの希望通りのものを捨てて掃除し片付けました。

書斎からキッチンに来たおじいさんは、物の置き場が違うこと、腐ってる物や賞味期限10年経過のものなどを捨てたことにひどく腹を立て、大変でした。

かなり大変な片付けで、おじいさんにお金がない、とのことで、ほとんどボランティアでやったにもかかわらず、とても清潔にきれいになったことを喜んでいただけなくてとても残念でした。

これも価値観の違う人を無理やり変えようとした結果なのです。

いくら正しいと思われることでも、本人にとっては迷惑でしかなかったんですね。

これらのことから、十分学んだので、片付けは無理強いせず、ご本人が、本当に片付けたいという意思が固まっている人のみ、お受けすることにしています。

 

 

 

物に対する価値観は、本当に十人十色です。

高い安いにかかわらず、たとえ使用することが今後のなくても、執着がある限り、それらを捨てるのは、どうにも耐えがたい苦痛になのです。

どんなにもっともな理由を説いたところで、聞く耳をもちません

 

 

南米で部屋が5つあるアパートで民泊の代理をしていた時は、

自分が責任を任されていたので、アパート中すべてをいつもピカピカに、

余計なものは一切置かずに管理していました。

口コミの評価は、いつも最高点をいただいてましたが、

長期滞在のゲストの中には、物をそこら辺自由に置く習慣の人がいて大変でした。

誰かと一緒に暮らすと言う事は、それはたとえ家族であっても、

習慣の違いで衝突します。

同じ家で育った兄弟姉妹でさえ全然違う価値観をもっていることは

普通によくあることです。

 

家族が片付けなくて、ストレスを感じている人、多いと思いますけれども、本人が片付けたいと思うまではどうにもなりません。

 

誰かを変えることは、誰にもできません。

1人で暮らすのが1番の解決策です

 

 

どうせ2割には嫌われるんだから

学校、職場、お稽古事、ご近所さん、

いろいろなお付き合いがありますが

どうにも、気が合わない、相性が悪いと感じる人は必ずいますよね

 

 

相手に対して

嫌われるようなことを何もした覚えがないのに

感じが悪い、意地悪される、影で悪口を言われる

ほぼ、誰にでも経験があると思います

 

実は、これは自然界の

262の法則

により、どうしようもないことなのです

 

 

あなたがどんなに素晴らしい人でも

絶世の美男美女でも

逆に、平凡で地味な人でも

あまり賢くない人でも

 

2割の人は、あなたに悪意を持ち

6割の人は、あなたに無関心

2割の人は、あなたに好意を持ってくれる

これが262の法則です

 

万人に好かれる人はいないのです

 

262の法則は、いろいろなことに当てはまります

ある会社の社員100人がいたら、

20人は優秀、20人はあまり仕事ができない、60人はまあ平均的

 

 

全世界の人に、トマトは好きか?と質問したら、

20%は大好き、20%嫌い、60%どちらでもない

 

 

この法則からいえることは、

イジメなどの問題でも、

自分を嫌いな人を好きになってもらおうとしても、

無理なのです

 

好きになってもらおうと媚を売ったり、無理をしても、効果はないそうです

 

自分を嫌いな人を好きになっても、どうにも無理なので、すっぱりとあきらめましょう

 

それよりも、自分に好意を持ってくれている2割の人と、楽しく過ごす方が楽しいはずです

 

 

日本の教育は、協調・同一化がよしとされ

それは社会に出てもほぼ強制的に求められるので

嫌な人とも一緒に行動しなければいけない場面があります

 

 

大概の誰かを嫌いな理由というのが

実にくだらない

 

その人の何かに嫉妬している

自分に興味を持たないから

昔フラれた彼(彼女)に似ているから、など

 

 

 

自分を嫌いな人からは無理せず、離れましょう

 

偽札に気をつけて!

アルゼンチンで

ちょっと嫌だなと思うのが

お金が汚くて不潔なことです

ボロボロで切れたものをセロテープで張り合わせてあったり

真っ黒に汚れていたり

 

 

 

ブエノスアイレスの道路脇には

バスで毎朝何時間もかけて郊外から

農作物を持ってきて路上で売っている人がたくさんいます

 

大きなスーパーで買い物したほうが

カード決済できるし

一度に買い物が済んで楽ですが

生活に困っているこのような人たちのためになればと

すすんで買っていく人も見かけますので

私も必要なものがあれば

なるべく路上で買うことにしています

 

 

 

その際の現金のやり取りでのお金が汚いことが気になります・・・

 

アルゼンチンでは

小銭を持ってないと困ることがたくさんあります

 

 

例えば

お店にお釣りがないから欲しいものが買えないとか

バスや電車のカードのチャージのマシンに細かいお金しか入らないとか

なかなか店で両替などをしてもらえないので

細かいお金を作るのにいつも苦労します

 

私は、一度 流行角膜炎になってしまったんですけど

原因は、この汚いお金を触ったその手で目を触ってしまったからではと思います

 

自分でアロマテラピーと霊気 (レイキ)で完治できてよかったですが

 

 

もう一つ、お金にまつわる困ったこと

 

「偽札」が多く出回っていることです

 

お金の受け渡しの時

ちょっと大きめのお札は

空に透かしてよく見るのは

みんながやることで

特に失礼なことではありません

 

それでもわからない位の巧妙なな偽札もあって

とても判別に疲れます

 

我々のような外国人は特にカモです

よく聞く話が

タクシーやお店で支払いに大きなお札を出すと

わからないようにそっと偽札と取り替え

お客さんこれ偽札だから使えないよ

と言うパタン

 

または、お釣りに偽札をよこす

 

私は普段UBERを使いますが

どうしてもタクシーに乗らないといけない場合は

わざと少しスペイン語で話をして、自分は観光客ではないアピールをする

または大体の相場の値段を知ってるので

今これぐらいしか手持ちのお金がないんだけど

どこどこまで行けるか?と先に聞きます

 

お釣りなしでぴったりのお金が出せるように気をつけています

 

タクシーは会社を選ばなければ危ないです

 

どうしても細かいお金がないとき

偽札をつかまされない策として

面倒ですが 大きな額を相手に渡すときに

お札に書いてある番号の下3桁位を一緒に読み上げるといいです

これはカフェの人に教えてもらいました

 

 

なるべく地下鉄の窓口で乗車用カードのチャージをして大きいお金を崩す

ホテルなど信用のおけそうなお店で

大きな老舗のカフェなどでお茶などを飲んで崩すなど

小さい額のお金を持ったほうがいいです

 

クレジットカードは 大きな店は使えます

 

必ず身分証明書を見せないといけないので

危ないブエノスアイレスの街を

パスポートなどを持って歩くのが嫌なので

買い物後すぐに家に戻れる時のみカードを使うようにしています

 

 

観光に来ている人などは

アルゼンチンペソを見なれていないので

ぱっと見て偽札がわからないと思いますが

よく見ると本物のお札は光っている部分がお札を上下するとクルクル動いたりするので

まずはお札をよく見て観察してみてください

 

 

透ける部分なども

偽札はぼやけていたりします

 

破けてセロテープできちんと張り合わせているお札は

何とか使えますが

端っこがちょこっと欠けていたりするお札は

使用できないので

お釣りによく紛れ込んでいることがあります

 

面倒でもその場で

すべてのお金をきちんと全部確認することをお勧めします

 

日本では、このようなお金のストレスには、あったことがありません

 

治安の良さと、キレイ好きな国民性ですね

 

アルゼンチン人が日本に来て、きれいな日本円紙幣を手にしたら、ものすごく驚くことでしょう!