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3 2020

思いやりの気持ちで危機を乗り越えましょう

またもや、デマのSNSにより、スーパーでの食品買い占め、売り切れ状態になっているそうです

このニュースを見て、またパニックになって事態は加速する・・・

どうしてこのようなことになるんでしょうか

 

 

誰かが買い占めをすることによって、今日必要な食品を買えない人が出てきます

イギリスのニュースでも、仕事帰りに食べ物を求めてスーパーに来たが、何も買えないかったと泣きながら訴えている人の映像を見ました

このような、コロナウィルスさわぎでも、職場にいかなければいけない人たち、

自宅待機できない人たち、

医療関係者、警備にあたる人、ケアワーカー、報道関係、行政の人たち、その他、買い物をする時間が限られている人たちが、スーパーに行ってももうそこには買えるものは残されていません

 

 

 

 

今回の「食料が買えなくなるかもしれない」というのはデマのようですが、実際そのような事態になった時

自分さえよければ

自分の家族さえ食べ物があれば

それでいいんでしょうか?

 

 

南米はまだまだ貧しい人たちがたくさんいます

食べ物や服を困っている人たちに分け与える文化があります

自分たちも裕福でないのに、困っているときはお互い様、と見返りを求めずにそのような行いができるのですね

 

 

良いことをする目的は、良い結果を得るためではなく、自分の心を浄める(清める)ことである、とお釈迦様は言っています

 

 

その反対に、悪いこと、(盗みや人を傷つけるつけることだけではありません)を進んで行えば、自分の心がどんどん汚くなっていきだけでなく、必ず悪い結果になっていきます

食料買い占めは、一見、「悪いこと」とは思わないかもしれませんが、それによって困る人がいるのです

 

非常事態にこそ、その人柄、人格がわかるものです

皆で助け合って、緊急事態を乗り越えましょう

 

 

 

 

コロナショックの教訓

パンデミック

コロナウィルスショックで

世界中の人たちが

強制的に外出禁止

または少しでもリスクを下げるために

なるべく自宅待機を迫られています

 

 

思わぬ時間の余裕ができて

今までできなかった家の片づけをしたり

家族団らんや

趣味を楽しんだり

人それぞれの時間を過ごしていることと思います

 

 

私もイベントが中止になったりと

時間ができたので

いつものように何か仕事に役立つ情報はないかと

仏教についてもっと勉強しようかとネットサーフォンをしていて

ある人のブログにたどり着きました

 

 

自分の子供の時からの持病

このせいで、今までいろいろなことをあきらめざる負えなかった

辛い病気・・・

これだけは

どうしてもレイキで治せないので

自分の前世のカルマなのかとあきらめていたのですが

そのブログを書いている方に

霊障かもしれないと言われ

驚きました

 

 

どうりでレイキが効かないわけです

 

 

それがきっかけで

「生きる意味」「死」

について真剣に考えるようになりました

その答えを探しているうちに

やはり仏教をもっと真剣に勉強するべきだと気づき

毎日励んでいます

 

自分の人生を振り返り、反省することばかりです

 

霊気を始めた時から

自分の心境の変化は感じていたのですが

究極のストレスフリーのカギは

仏教にあるのかもしれません

 

 

ブッダ(お釈迦様)は

過去を悔やんでばかりいるのは

まるで死体を背負って歩いているようなものだ

 

そしてそれは不幸になる練習をしているようなものだといっておられます

反省はこれくらいにして、

善行に励まなければいけません!!!

 

今のままでは確実に地獄行きですし・・・

 

 

コロナショックで

これからの生き方を見直さなければいけないと感じている人は

大勢いると思います

 

 

ウィルス感染で亡くなられた方

重症化して苦しんでいる方

また大変な思いをしている医療関係の方など

大変お気の毒ですが

私たちもこれからの人生を

どう生きていくのか

よく考えさせられるいい機会になったのではないかと思います

 

 

私は、この状況で

待機する家があり、

思わぬ仏教の勉強をする時間ができたことを

周りの人、神様に感謝し

今後はもっと人助けになる仕事をして

心の境涯を高く

慈悲のある人になれるように

明日死んでも悔いがないように

毎日を大切にしていきたいと思います

 

 

 

 

本物の英雄は色を好まない

あるアメリカの映画のワンシーンで

「もし億万長者になったら」・・・

 

 

ある普通の夫婦の妄想シーン

 

 

男性は

「プール付きの豪邸のジャグジーで裸の美女たちとシャンパン」

 

女性は

「ハイブランドの服や高級品、宝石などを買いまくる」

 

 

アルゼンチンのお笑い番組での妄想シーンでも 同じでした。

 

普通の価値観の人の脳では、

世界各国

男は「セクシー美女買い」

女は「物欲の鬼」

と化すわけですね

 

まあ、これが昔も今の変わらぬ人間の億万長者成功イメージなんですね

 

 

その昔、戦争で勝ってお金持ちになった武将などは

贅沢放題、女性を何千人も囲ってた人もいたぐらいだし

女性たちも金品目当てに、妾同士、嫉妬や競争しながらも、その立場に甘んじていたのでしょうが

彼らは、その財や地位を、いつ失うか、ビクビクしていたように思います

色欲も物欲も、とどまることを知らず、もっともっととエスカレートしていきます

昔の大河ドラマや西洋の王様映画などでも、その様子は描かれています

 

 

現代でも、「英雄色を好む」などと

自分を「英雄」に見立てた成金実業家や有名人などが、

銀座のクラブで美女をはべらかせ、

「男の性分だ」などと正当化して

女の尻を追いかけまわしている輩がたくさんいますし、

お金のためには何でも売る女性たちもいます

 

 

中高年のお金持ちの男が、一緒に苦労した最初の妻を捨てて、若い美女と再婚する

「トロフィーワイフ」

お金で若さと美しさを買うバカ男と、金に目がくらんだ強欲な女、

実は同じ価値観を持つ同士なので、お似合いのカップルですが

たいがい、のちに一緒に破滅して離婚します

最悪なのは、カルロスゴーンのようなパターンですね

 

 

 

 

人間は、いかに何億年の間生まれ変わっても、

勉強できない欲の塊の生き物なんだということを

思い知らされます

 

こういう人たちも、

「マザーテレサ」や「ガンジー」の映画などを見ると

感動して涙を流したりはするのですが、

といって、自分がそういう貧困な人たちを、自分のお金を使って助けようとはしないのです

 

 

キリスト教では

「お金持ちは天国に行けない」ことになってるそうです

なぜなら

良い人、「慈悲の心」がある人は

その持っているお金を貧困な人たちに分け与えてしまうので

お金がなくなってしまうからです

 

 

キリスト教も仏教も他の大きな宗教は

基本は「隣人を助けよ」なので

自分さえお金があったら、他に困っていようと関係ないということにはならないので

お金持ちが自分の贅沢には糸目をつけずに

大金を使っているのを見ると

やっぱりそれが良い人とは思えないです

 

例えば、たった10時間やそこらの空の旅、

ファーストクラスで100万以上使うのなら、

10万円のエコノミークラスに乗って90万円本当に困っている人たちに寄付したら、

それこそ「英雄」ではないでしょうか・・・

 

 

まあ、自分はすごいお金持ちになったことがないので

お金持ちの気持ちがわかりませんが、

もし万が一、億万長者になってしまったら、

貧困にあえぐ人たちを助けるためにお金を差し出せるような人間になりたいです

本当に欲しいものは、お金で買えないことを

今は知ったので、それができると思います・・・

 

 

はっきり申し上げますが

浮気者の男を心から愛する女性はいないです

浮気相手の女性に嫉妬するので、愛されてるような気がしますが

ふっと、ある日バカらしさに気づきます

お金が欲しくて愛しているフリをするかもしれませんが

お金がなくなったらポイです

 

 

自称「英雄」がどんなに色を好もうと、

最期は、誰にも愛されず

一人で死んでいくかわいそうな人です

 

本物の英雄は、

本当に大事な人を大切にしますので

その人を悲しませるようなことはしません

 

 

人生最後の日も、愛され見守られ

幸せな人生の幕を閉じるに違いありません!

 

 

 

アルゼンチンの素敵な習慣

日本の地下鉄、電車の中に座っている人たち、学生も社会人も、見渡すとほとんどの人が、眠りこけている、またはスマホに夢中になっている・・・お年寄りや小さい子供連れのお母さんが前に立とうと、お構いなしです。

妊婦マークをこれ見よがしにバッグにつけてる女性が、これでも席を譲ってもらえないと嘆いている話をよく聞きます

 

 

以前の私も時間に追われ寝る時間が少ない上に、慢性的な不眠症による寝不足で

通勤電車の中で座れるものなら休みたいという時期がありましたので、お疲れの皆さんの気持ちはよくわかります・・・

 

しかし、南米の人たちの素敵な習慣を見て、日本人はなんて情けない、、と思うようになりました

 

 

アルゼンチンでは、バス、地下鉄や電車の中で、扉が開いて、年寄り、妊婦、赤ちゃん連れのお母さんが乗りこんできた途端に、若めの人々はいっせいに席を立って彼らに譲ります

必死に席取りをする元気な人たちなどいません

ちゃんと座らせる人をみて、それでも席が空いたら座るという具合です

彼らにとっては子供の頃から見てきた当然のマナーであり、弱者をいたわる習慣が身体に染み付いているんですね

 

妊婦さんやチビちゃんと一緒のお母さんたちは、当然!と言った態度で特に感謝の様子も見せず座ります

時には、かなりの年配から若い男性までが「セニョリータ座りなさい」などと席を譲ってくれるジェントルマンぶりです

 

 

インフレや治安の悪さなど、たくさんの問題を抱えている国ですが、暖かい心を持っている人がまだまだいるんだな、とホッとします

 

 

日本では、通勤ならば大都市在住の場合長くても片道1時間以内の辛抱だし、遠距離通勤でも郊外になれば電車も空いてきます

車内で席を譲ること、立っていることは、一日一善だけでなく、脚も鍛えるし、ヒップアップにもなります

私は背が高いので、つり革より上に手を伸ばしたりして背中や腕肩のストレッチをするのが好きです

片足立ちで筋力を鍛えたり、良い姿勢で立っていればそれだけでヒップアップに効果があります

立っていても本やスマホは見れます

寝過ごすかも、とハラハラしながら数分の仮眠をとるのに必死になるより

人のためになって身体にもいいのですから、やらない手はないです

 

 

実際、座る時間が増えれば増えるほど、お尻の丸みは潰されて形状記憶されて四角くなります

元気な女性の皆さんも、キレイなヒップラインを保つためにも、席を譲ってぜひ姿勢を正して立ってください

 

女性に比べあまり美意識のない日本人男性

運動する時間がないのなら、電車の中で足を鍛えてこっそり筋トレおすすめします

ジェントルマンが嫌いな女性はいませんし、口を開けて寝ている人より、ささっとお年寄りに席を譲る人の方が断然魅力的です

 

喜んでもらえるだけでなく、自分でも気持ちがいいものです

そんな人が増えたら、それを見ている子供たちも変わってくるのではないでしょうか

 

片付けられない人に無理強いは禁物

私は、小さい頃、朝学校に出かけるのに、

運動着が、お気に入りのあのスカートが、ノートがない、と

常に物を探していて、その度に母に「ここにあるでしょう!」と叱られていました。

 

今思えば、

それは見つけられない私のせいではなく

実は、母は、片付けがあまり得意でなく、

物の場所決めをしない人だったので、

物が同じ場所にあることがなかったので、

いつも探し物を見つけることができなかったのです。

 

親の印をもらって提出などの紙などは、母も積み重なった本やら書類の中からいつも探していました。

 

彼女は典型的な買い物好きで、

物が多くて、

それを片付けずに並べておくタイプです。

 

大きな納戸やクローゼットなどに入りきらず、物がそこら辺中に並んでいます。

幸い家が以前よりもかなり広くなっているので、物が増え続けていても、すごい圧迫感はないのですが、短い期間でもこの家に滞在することがある時は、自分のものはすぐに自分の部屋に引き上げておかないと、勝手にどこかにおいやられてどこにあるかわからなくなります。

 

性格は変わらないですね。

 

残念ですが、どんなに素晴らしい片付け本が出回ろうと、お片付けのプロが指導しようと、片付けを必要と感じない人には無駄なこと、

片付けろと言っても、ケンカになるだけだということを、自分の仕事の経験からもいやというほど学びました。

母が亡くなった時に、片付けにどれだけの時間と費用がかかるんだろう… と気が重くなります。

自分はその反面教師で、片付けが趣味になりました。

 

カテゴリーごとに物を分け、置く場所を決めて、取り出しやすさとか、在庫が見やすくなる工夫など、日々研究してましたが、思春期になりオシャレに興味を持ち、服や装飾品が増えてからは狭い空間で片付けにストレスを感じ始めていました。その頃はまだ捨てることは苦手で、物への執着が強かったからです。

 

 

海外に何年も住むのにスーツケース 2個で出かけて暮らせたことで、必要なかった物がわかり、また必要最小限の物で暮らすことの快適さに気づかされました。

レイキを始めたぐらいから、物への執着もめっきり減ってきました。

物が少ないとお片付けが楽なんです。

置物、絵画、物入れなども、目は喜びますが、

実は置いておくだけでホコリをかぶるので、掃除がめんどくさい。。。

物がクローゼットに入りきらなくて床を埋め出すと、掃除のたびにそれをどかさなきゃいけないのでまためんどくさい。。。

根が不精なので、ミ二マリスト的な生活が楽なのかもしれません。

海外では、仕事は違法になるので、ボランティアで節約生活だったので、

いかにものを買わずに生活するか知恵を絞っていたことが役立ちました。

 

 

コンマリさんや、断捨離の山下さんは、家族が片付けない場合、自分だけでも綺麗にしておけば、だんだん家族も感化してくると言いますが、

正直言って

広い家の場合は

実際はなかなかそうもいかないと思います。

 

物に対する執着がどうしても捨てられない人は、

精神的に病気なのです。

 

コンマリ本を読んではみたものの、結局片付けられなかった人、

捨ててしまって大後悔する人、

一度は片付いても、また物が増えて片付かない人など、

結局失敗に終わっても、希望はあります。

 

ご自身が「本気で片付けたい」という意思が何より大切です

 

いくつかの失敗例を紹介します

すごい汚部屋(アパート)に住んでいた友人の家を、彼女の旅行中に、3日間ほとんど睡眠も取らずに片付け続けたことがあります。

彼女の家は、ロンドンの中心地にあって、たまに、近くに行った時に泊めてもらっていたのですが、足の踏み場もない、床が見えないほど物で埋め尽くされていて、私物を彼女の物で溢れたテーブルの上に置いたら最後、もう最後、見失ってしまう凄まじさでした。

ボランティア活動でお金がなかったので泊めてもらっていましたが、汚いし心地よくはなかったです。

テイクアウトのヨレヨレの使用済容器、賞味切れ何年も経つ食品、冷蔵庫や棚には腐っているものも多々あり、カビだらけに浴室なども汚くべとべとになった使いかけのシャンプーやボディケア類が何十本も物を置くスペースだけでは足りずにバスタブの周りすべてに並べてあり、キッチンもとても料理をする気になれない酷さでした。

彼女は医者でありながら、ひどい仕事の人間関係のストレスに悩まされていて、何十キロも太り、半ば精神病のようになっていたので、せめて住居が快適になればストレスが改善するのではと、ボランティアで片付けを申し出ました。

莫大な物たちをカテゴリー別に分ける作業をするスペースもなくとても大変だったし、捨てたくないという本人の希望を優先し、ほぼ掃除と片付けだけに絞ったのですが、限られた狭いスペースに、莫大な量の物を整理整頓するのが難しくて、何度も収納をやり直し3日間で充分だろうと思っていたのに寝る時間を惜しまないと終わらなかったほどでした。

カビだらけの壁やパスカーテンも新調し、汚いキッチンなども掃除してピカピカにして、大満足の私でしたが…

3日後に帰ってきた彼女は、喜んでくれるどころか、腐っていたものや賞味期限切れの物を捨てたことにものすごく腹を立て、その後、険悪の関係になってしまったのです。

好意のつもりが、こんなことになってしまって、自分もその時は腹を立ててしまったんですが、今思うと、価値観の違う人を変えようとした自分もいけなかったと反省しています。

良かれと思ったことも、その人にとっては迷惑でしかないこともあることを学びました。

これはコンマリさんが世に出るちょっと前の話ですが、小さい頃から、自己流で片付けが好きだった私にとっては、コンマリ流片付けは既に実践していたことばかりでした。

執着から離れて捨てるということが難しいですね

1年半ほど前、アルゼンチンで、コンマリ本を読んで共感したので実家を片付けてほしいという女性の依頼で高齢の体の不自由な彼女のお父さんの一人暮らしの家を片付けました。

ご本人のおじいさんも、キレイにしてほしいとのことだったのですが・・・。

 

その広い家は、たまには娘、息子、孫たちが集まることはあっても、奥さんに先立たれてから十数年もほったらかしだったそうで、一見片付いているように見えたのですが、ふたを開けてみると、蜘蛛の巣、虫の食った食品、カビたもの、腐った食品、悪臭のする衣類や本、ゴキブリだらけのあまりにも汚いバスルーム・・・娘さんが依頼したかったのも無理もないゴミ屋敷でした。

しかし、始めてみると、娘さんがおじいさんに確認すると、なんでも”捨てたくない”の反発がすごくて片付けたい娘さんとサンドイッチになってしまい、、困ってしまいました・・・しかし、なんせ身体も不自由なので、娘さんの希望通りのものを捨てて掃除し片付けました。

書斎からキッチンに来たおじいさんは、物の置き場が違うこと、腐ってる物や賞味期限10年経過のものなどを捨てたことにひどく腹を立て、大変でした。

かなり大変な片付けで、おじいさんにお金がない、とのことで、ほとんどボランティアでやったにもかかわらず、とても清潔にきれいになったことを喜んでいただけなくてとても残念でした。

これも価値観の違う人を無理やり変えようとした結果なのです。

いくら正しいと思われることでも、本人にとっては迷惑でしかなかったんですね。

これらのことから、十分学んだので、片付けは無理強いせず、ご本人が”物への執着から離れたい”という希望があるかたのみ、お受けすることにしました。

 

 

 

物に対する価値観、物欲の強い人にとっては、

高い安いにかかわらず、お金を出して買った物、いただいた思い出の品、たとえ使用することが今後のなくてもそれらを捨てるのは、どうにも耐えがたい苦痛になのです。

自分も以前、物に執着していた時期があったので、その気持ちはよくわかります。

物が見つからず時間をいつもロスするよ、とか、

もう3年間も使用しなかったのだからこの先必要ないよ、とか、

どんなにもっともな理由を説いたところで、聞く耳をもちません

強行しても、喧嘩になって、関係が悪化するだけです。

 

 

南米で部屋が5つあるアパートで民泊の代理をしていた時は、

自分が責任を任されていたので、アパート中すべてをいつもピカピカに、

余計なものは一切置かずに管理していました。

口コミの評価は、いつも最高点をいただいてましたが、ゲストの中には、物をそこら辺自由に置く習慣の人がたくさんいて大変でした。

誰かと一緒に暮らすと言う事は、それはたとえ家族であっても、

お互いの自我を出すと必ず衝突します。

自分が大家さんとかの立場でもない限り、決まりを作ったところで無駄です。

 

同居人がそれぞれ「自分ルール」をもっているので、それをお互いに主張してうまくいくはずがありません。

人の価値観と言うのは、本当に様々で、例えば、同じ家で育った兄弟姉妹でさえ全然違う事は普通によくあることです。

 

家族が片付けなくて、ストレスを感じている人、多いと思いますけれども、本人が、物の執着をなくして片付けたいと思うまではどうにもなりません。

1人で暮らすのが1番の解決策ですが、その余裕がないのなら「気にしない」練習を積むしかないです。

人間は絶対にいつかは死ぬし、その時には何にも持っていけないんだよね…と考えると、

物にしがみついてもしょうがないなって思います。

 

海外では、家具や家財道具付の場所を借りて暮らしているので、荷物は全部でスーツケース 2個ほどです。

これでも多いな〜 と海日本と海外の往復時は頭を悩ませます。。

 

物欲の執着から自由になるとストレスが減ります

私の場合は、レイキの瞑想と仏教の教えが大変役に立ちました

 

ブッダの教えは、2500年も経った今でも、変わらないのですね

物への執着が捨てられない人にお勧めします

 

基本仏教講義

 

また、レイキヒーリングは、

物への執着から離れるのに役に立ちます!