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性的虐待や性犯罪がなくならないわけ

新聞、インターネットなどのニュースを見ると、

毎日のように見かける

性的虐待 や 性犯罪のニュース

 

被害者は、女性だけでなく、小さな子供、乳幼児までが犠牲になっています

 

性倒錯者、精神異常者は犯罪の発覚を恐れて殺人までします

なぜ、このような悲惨な犯罪が昔も今もなくならないのでしょうか

 

2500年前のお釈迦様の教えでは

このように言っています

 

俗世間では「性欲」は自然な本能として正当化されていますが、

仏教ではそうではありません。

以下、上座仏教テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老による法話より引用します

美しく燃える欲の炎 性欲は危険と苦しみにかぶる目隠し

 

俗世間では、性欲はとても自然的な本能として、正当化している感情なのです。

しかし

性欲が社会に与えているトラブルは、想像を絶するものです。

精神病の大半は、歪んだ性欲が生んだものです。

社会で起こる犯罪の、大半の原因は

”性欲”

なのです

 

幼児虐待、誘拐、殺人、放火などが、毎日のように起こります。

性欲のせいで、非難されて政治の世界から閉め出される政治家もいますし、

会社を倒産させる人々もいます。

不倫、夜の街での遊びやらで

家庭を崩壊に追い込む人々の数は膨大です

 

諜報活動にも性欲が大事な役割を果たしています

治療不可能のHIV感染は、世界的な問題となっています

 

貧しい国々の子供たちに売春を強いるので、

彼らが人権どころか生きる権利まで奪われているのは、

性欲のせいなのです。

 

人間社会にいくら不幸を与えても、俗世間は性欲を正当化する。

 

性欲は、自然な本能だと思う。

 

必要不可欠なものだと思う。

 

しかし、この考えは単なる主観的な感情であり、

 

客観的な事実ではありません。

 

「子孫を残す」ということに人間も他の生命も必死なのです。
それは客観的な事実です。

しかし、子孫を作ることでその生命が得るものは、何かあるのでしょうか?

食欲も欲ですが、それは満たせないと命を失います。
ですから、必然的に満たさなくてはならない欲なのです。

しかし、性欲を満たせないからといって、命を落とすことは決してあり得ないのです。

それなのに、なぜ性欲は断言的に正当化しているのでしょうか。

それは性欲が、生命の追う様々な

「好き」

の中で、かなり強烈なものだからです。

 

ですから皆、性欲が満たされることを期待するのです。

 

「子孫を残す」というのも、実は表向きの言い訳に過ぎません。

 

人間の間では、結婚にも異性との関係にも興味はないが、子供を欲しがる人もいます。

その人々は子孫を残したいという気持ちではなく、子育てが「好き」で、それを喜びたいのです。

 

現代社会では子供を作ることを完全に否定して、性欲だけ満たして生きていきたいと思う人々の数が多いのです。

性欲は決して生きることに欠かせない本能ではありません。

音楽を聴く、贅沢をするなどのように、もう一つの強烈な欲なのです。

性欲を満たすことで命が延びるというよりは、縮みます。
体力・精神力・財力を大量に費やすことになります

人は、性行為から得る快楽に強烈に執着します。

猛烈に依存するのです。

ですから、その快楽を得るために費やすエネルギーの量は全然気にしないのです。

日常生活の中で様々な問題が起こるとき、楽しみや充実感を得られないとき、人はその苦しみのはけ口として性的快楽に依存することもあります。

ブッダは、性欲は割に合わないほど不幸を招くもので、心の成長を妨げるもの、人を苦しみに徹底的に依存させるものであると説くのです。

個人は自分の幸福を目指して心の成長を目指し、様々なトラブルや苦難を避けるために性欲の依存をやめさせなくてはいけないのです。

自分の快楽のために他人の命を弄ぶことは人権侵害であって、慈しみの正反対です。

 

 

表は「好きと会い」、裏は「悩みと恐怖」世界が変わっても苦しみは消えない

 

世間は、人が「好き」になる対象の方を問題にしています。

たとえば、イスラム教では、男をみだりに誘惑するという理由で、
女性は夫以外の男性に手首と目元以外見せてはいけないことになっています。
結果として、女性は身体を完全に隠して生活しなければならないが、

女性の手足顔、髪の毛などを見ただけで性欲をむき出しにする男性の方は自由なのです。

タバコを吸いすぎて病気になったら、タバコ会社を訴えるのです。
例えばアメリカのフロリダ州のGrady Carterさんが、Brown & Williamsonタバコ会社を訴え、$750,000の損害賠償に勝訴しました(CNN June 29, 2001)。
麻薬の密輸入、売買、所持などを取り締まって、人々が麻薬に依存することを止めようとする。

このように、人が好きになる「対象」を目の仇にするのが、世間のやり方です。

仏陀のアプローチは違います。

何かを好きになるということは、その人の心の問題です。
その人個人の主観的な感情の問題です。
もし対象が原因だとするならば、すべての生命の心に、同じ結果が現れる筈です。
タバコを見たら誰でも吸いたくなるわけではありません。
麻薬を見ただけで人は誰でも服用しようとはしません。
ある人が美人だからといって、すべての男たちが欲望を抱く訳ではありません。
「好き」は明らかに主観的な問題です。直すべきなのは、個人の心であって世界ではありません。

仏教は一貫して心を向上させること、清らかにすることを勧めています。

何かを「好き」になるということは、その何かに依存することなのです。

それが心が弱い、汚れているという証拠なのです。

ですから、仏陀は二段階に分けて解決方法を説きます。

まず好きになる対象から身を引く。

次に、依存しなくても幸福でいられるように心を育てる。

 

 

法律で悪いものを禁止しても、人は直りません。身を引くことにもなりません。

ですから、自分で「好き」になる対象から身を引くのです。表面的には世間のやり方と似ているようですが、実際は違います。

「好き」は主観的な感情です

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世の中は実に性欲を煽る物があふれています
先進国では、お金のためにそれらを武器に商売にしている女性もたくさんいます
それを求める人がいる限り、それは、いつの時代も、お金を得るためのビジネスです

はびこる

女性蔑視、男尊女卑の根底には
女性を「性欲の対象物」としか見ない
ということです

 

 

性犯罪者たち悪業は大変なものです

今世で犯罪が発覚して罰を受けても、また、運よく誰にも知られなくても、それで終わるわけがありません

来世で報いを受けるその恐ろしさを知ったら、きっとこの世に犯罪者はいなくなるかもしれません

輪廻のことは大変複雑らしいですし、また死んだことのない(死んだ経験をできない)私たちには知る由もありませんが、

世の中はちゃんと平等にできているそうですので、

その大罪は決して消えることはないでしょう

私たちは、俗世間の常識のようになっている、

この「性欲の問題」を、

もっと真剣に考えなければいけないのではないでしょうか

 

表現の自由とか、欲を煽るものを、取り締まったところで、見たい人はどのようにしても見るのでしょうが、

子供の教育をする時点で、

性欲が、大変な危険を犯してしまう可能性があるということを教えるべきであり、

俗世間の常識ではなく、

子供たちの手本となる道徳のある大人が増えることを願っています

 

こちらに、欲をコントロールする良いアドバイスなどがあります
参考までにリンクです

http://bbs1.sekkaku.net/bbs/?id=theravada

「薬依存」の心の病気を治す

庭に咲いていた「くちなし」の花が落ちたので、

部屋に飾ろうと思いました

 

 

ものすごくいい香りがしますが、

よーーーく見てみると、

小さい虫さんがたくさん、

花の中をウロウロしています(^^;;

 

花は、外で眺めるだけで十分ですね!

 

 

 

 

寝たきり高齢者を一人でも減らしたいと

活動していますが、

 

困ったことに

「薬依存」の人が多く

その薬の副作用が、体調の回復を邪魔します

 

 

高齢者は時間があります

医療費もかかりませんので、

少しでも身体の調子が悪いとすぐに病院に行きます

 

医療現場は、常に新しい機械を導入するために、大変なお金がかかるので

ビジネスのために、余計な検査を勧めたり、薬をたくさん出します

どこかが痛ければ、すぐに手術をしたがります

 

良く眠れない、便秘、血圧が高い(低い)、腰、膝が痛い、呑み込みが悪い、手足が震える、動悸、めまい・・・

 

高齢になれば、普通に起こる症状ですが、

運動することによって、ほとんどは解決できます

 

血液のドロドロをサラサラに、

骨密度さえ、運動によって上げることもできます

 

 

薬を飲み続けている人は、

身体の中に、毒がたまっています

 

 

自分は、この10年間、医者にかかったことがなく、

薬も一切飲んでいません

 

以前、OL時代には、

眠れなかったり、頭痛や胃が痛かったり、

いろいろな不調があったため

たくさんの薬を飲んでいましたので、

この10年で、やっと身体の中に溜まっていた薬による解毒作用が

終わったころではないかと思っています

 

無料だから、

と、すぐに病院に行くその「ただの医療費」は、

国民の税金から出ていることも忘れないでください

 

全く病院に行かない健康な人たちは、

保険料を、そのような人たちのために払っているようなものです

日本経済を苦しめている一つの原因は、

この莫大な医療費なのです

 

 

日本は、異常な薬消費国なのを、ご存じですが?

風邪を引いた、頭が痛い、胃が痛い

なんでも

「薬を飲め」「医者に行け」

自力で治せるものを、すぐに医療に丸投げです

 

町のいたるところに、こんなに、薬屋がたくさんある国もそうそうありません

家庭常備薬を、まるで果物を買うように

安売りで買い込んで、常時使用して

自分の健康を害していることに気付いていないのです

 

体調が悪かったら寝て休む

回復したら、バランスの取れた食生活をして(食べすぎず)

運動する

ストレスを解消する

これで、ほとんどの病気は治ります

 

自分は、アロマテラピー、レイキ、自然療法で病気はすべて自分で治します

 

「薬依存」は「心の病気」です

自分の身体を、もっと自分で管理してください

 

もちろん、良いお医者さんも存在すると思いますが

基本は、医者に頼らず、自分の身体は、自分で管理することです

 

それが、健康で長生きして、ピンピンコロリと死ねる方法です

ストレスで死なないために

仕事で嫌なことがあった、

職場の人間関係に悩んでいる、

業績が上がらない・・・

 

 

ストレスはたまりにたまって

限界を超え、そして、ついに、倒れる

 

働き盛りの社会人が脳梗塞やら、心不全で救急病院に運ばれ、

運よく助かっても、

その後、どこかがマヒしたり

障害を持ったまま、老後をすごさなければいけなくなる

 

責任感の強い

我慢が美徳の

日本人によくあることです

 

どんな職業を選んでも

好きな自営業でも

何かしらのストレスがあるのは仕方がないことです

 

しかし、昨日今日のストレスで、

大病になるわけではありません

 

倒れるまでに

何かしらの身体の不調のサインはあったはずです

ストレスを発散させるために

気晴らしをしても、

大酒を飲んでも、

すぐに、ストレスの原因を

何とかすることができないのなら

もっと症状は悪化するだけです

 

体調が悪くなっているのを感じているのに

我慢してその結果大病で倒れても、

社会は、意外と冷たいものです

 

今まで功労しても、

今現在使えなくなった人材は、さっさと見放されます

自分がいないとダメなんだと思っているのは自分だけで、

実際には、代わりならいくらでもいるのです

しかも、あまり若くない、賃金の高い社員は

辞めてもらういいきっかけができた

ぐらいに思っているかもしれません

 

 

健康は、何にも代えがたい大切なものです

職場は、万が一になっても、助けてくれません

自分の身体は自分で守るしかないのです

 

責任感でストレスをため込んで、倒れることが

実は社会に迷惑になることもあるのです

寝たきりになって、家族を悲しませる

その状態が長くなれば、

費用もかさみ、

介護で、家族も疲れてしまい、

最後は迷惑がられてしまうこともあるのです

家族だけの問題ではありません

誰かが病気になれば、税金だってたくさん使われます

 

ストレスで病気になっても

誰にも何にもいいことはないのです

 

 

私は、かつて、職場でストレスから体調不良になったことがありました

 

血圧が異常になり、胸が締め付けられたり、

呼吸困難になったり、

かつて経験したことのない、恐い症状になりました

数か月前に、健康診断で異常がなかったので、

明らかにストレスが原因です

 

2週間ほど様子を見ましたが、

悪くなる一方です

 

このままほおっておいたら、絶対に倒れると思ったので、

躊躇なく、仕事を辞めました

 

早く対処したおかげで、その後、

短期間で、体調を回復させることができました

 

 

イジメなどの問題でもそうですが、

絶望的になる前に、考えてください

他の解決策が絶対にあるはずです

 

仕事は他にもいくらでもあります

 

でも、自分の身体は、他に代わりがありません

 

今の仕事で頑張った功績は他で評価されないかもしれませんし、

賃金や条件も悪くなるかもしれませんが

健康なくして、仕事はおろか、

家族にも精神的に見放されて

辛くて生きていくこともできなくなるかもしれません

 

倒れたのhが、定年まじかだったら、

そのまま、寝たきり老人になってしまうこともあるでしょう

 

健康を害するほどの責任感

ストレスを我慢しすぎることは

美徳でもなんでもありません

 

 

一日も早く、自分の身体のSOSに気付いてください

 

他人の過ち、したことしなかったことを見ない

ブッダの言葉

ダンマパダ(Dhammapada 50)

 

他人の過ちや、したことしなかったことなど、観る必要はない。

自分を観るべきです。何をしているか、何をしていないのか、と。

 

 

人間は皆、「自分は正しい」と思っています

 

でも・・・

人の意見、価値観は 百人十色

誰一人として、

脳の中身が同じ人はいないのですね

 

 

そして人間は、

困ったことに、

他人のやることは目についてしょうがない

 

 

自分と違う、他人のやり方、意見、価値観を

認めることができません

 

 

そして、「正しいと思っている自分のやり方、意見、価値観」を

他人に押し付けてしまうのです

 

お互いが

「自分が正しい!」

と思っているのですから

結局ぶつかって、対立します

 

ブッダの教え

 

他人はほおっておく、自分だけを観る

 

すべての人が、この教えを実践したら

人間関係がすべてスムーズ

ケンカをする夫婦もいなくなりますね

 

実際、人間は皆、不完全であり

自分の意見でさえ、

本当は正しいのかもわからないのですから

 

他人のことは観ないから私のことも観ないでください

 

これでストレスはかなり軽減します

 

 

 

一般的に、宗教って怖いイメージですよね

 

私も普通の日本人に多い、

「無宗教家」

ですし

宗教家になろうとは思ったこともありません

 

 

上座仏教は宗教ではなく

人生を幸福生きるための

【教え】

だそうです

 

 

あまり評判のよくない新興宗教でも●●仏教などと言うそうなので、

素人には宗派の違いもよくわかりませんが

宗教団体ですし

一人で勉強するというわけにもいかなそうです

 

 

上座仏教の長老によると、日本のたくさんある仏教の宗派は、お釈迦様の初期の教えとは違うそうです

 

私は、心の病気を治したり、ストレスをなくすために

仏教の教えが役に立つと思いました

 

どれを勉強しようか悩んで、

スマナサーラ長老の お釈迦様の本来の教えである

上座仏教がしっくりきました

 

テーラワーダ仏教協会の

長老たちの法話を読んでみる価値は大いにあります!

日本テーラワーダ仏教協会 法話と解説

 

キレイの価値観も人それぞれ

人間のキレイの価値観

 

ある部屋をみて、

その家の人は

昨日掃除をしたと言っても、

 

「まあまあ片付いていてキレイ」

と思う人もいれば、

「服やら物が置きっぱなしで汚らしい」

「部屋のすみのホコリ」が気になる人や

匂いが嫌だと思う人も

 

Aさんのキレイの価値観

Bさんのキレイの価値観

Cさん、Dさん・・・

誰一人同じではないのが普通です

 

自分の家をきれいにしておきたいために、

家族や同居人に自分の価値観を押し付ける

潔癖症気味の人たち

 

他人の足や手は汚いので、

家に上がるときに足を拭いてほしいとか

手を洗ってくれとか

(今はコロナ感染予防もありますのでしかたないですが)

どこにも汚いところに上がってなくても

靴が汚いので、その足で上がられると汚いそうです

 

そういう自分は、同じスリッパを

全く洗わずにずっと履いています

十年来大切にしているブランドの靴も相当汚いはずです

お使いのスマホやらバック、どこかに置いたり、触ったりした後、

毎度毎度 消毒してなければ、きっとばい菌だらけですよ

 

フローリングの廊下は、

綺麗に拭き掃除もできますが、

何十年も使っている絨毯などどれだけ垢で汚れているか

 

家の中だって十分に汚いのに

 

とにかく、人のことは汚いのです

 

 

人間は不浄である

と お釈迦様は言っています

 

以下

テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のパティパダー巻頭法話より

悪魔に勝つために① 自分は美しい人間か 

身体は穢いものです。それは事実です。その証拠にあなたは毎日のように入浴をするでしょう。
一週間ほどからだも顔も洗わず、歯も磨かず、下着もそのままにしていたらどうなるでしょう。結果は想像できますね。人間はみなおいしいものを食べます。しかし、おいしいと思ったその食品も口に入った途端汚いものに変化していきます。ちなみに、自分の大好物な食べものをひと口噛んだあともう一度手のひらに戻しその大好物だった食品をよく観察してみてください。それからその一度噛んだ食品をもう一度口のなかに戻してみましょう。ちょっと常識ではできませんね。実際それをやらずとも想像するだけでも試してみる自信のある人などいないはずです。

咳、痰、膿、尿、便、汗、鼻くそ、耳垢をはじめ、胃や腸など内臓など自分のものでないかぎり他人を不快にするものばかり人間一人一人が所有しているのです。さらに言えば、口から入ったものは内臓を下に行けば行くほど不浄なものに変わってしまい最後は大便として排出されてしまいます。

人間の肉体はまさに不浄の塊、不浄の工場といった観があります。

ところで、不浄随観ふじょうずいかんは仏教の瞑想法のひとつです。からだが清浄なものとおもっている妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめます。高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていきます。

 

 

掃除の仕方にしても

人それぞれ、キレイの価値観は違うので

キレイになってない、気に入らないということになるのでしょうが

 

例えば、そういう人の場合

朝、水拭きしたキッチンの廊下

数人が使えば、半日でも床はうっすら汚れるのに、

昼過ぎに、こんなに汚いのに、どこを掃除したのだ

といったりするでしょう

 

そんなにピカピカにしなくても

あなたの足の方が汚いのですよ

足の裏からは汗をかき、

汚い絨毯を歩き回っているのですから

 

 

自分の場合

一日一回は必ずシャワーを浴びて

インナーは洗った服、短時間着用の場合や、汗をかかなかった場合は、スカートなどは2回着るときもあります。

 

靴の中はたまに洗うし、インソールを使ってを洗います

靴下は汚れたところを歩いた場合はすぐに家に入るときに脱ぎますが

今いる場所は絨毯なので、どうせ完全にきれいにできないので

あまり気にしません

掃除は週に3回ほど

他は気になった細かいところは、その都度掃除する

ミニマリスト的な生活が好きなので、

物が非常に少ないので、掃除も楽です

(いつも、私が死んだあとは、片付ける人楽でいいだろうなーって思います(笑))

 

それ以上やる必要もないし、十分清潔で汚れているとも思いません

やらない人を射たらきりがないですが、

これでもキレイ好きな部類にはいるのではないでしょうか

(これも、比べようがありませんね)

どうせこの瞬間も、身体は生きてる限り不浄になるのだから

気にしても苦になるだけ

人に迷惑をかける(そばによると臭いなどは、やはり害ですよね)ことは絶対ない程度にすればオッケーだと思います

 

潔癖症はある意味、精神病です

 

このように自分のからだが清浄だという思いこみがある人は

自分に対する妄想や苦しみ、悩みは増量される一方で

快楽に執着し異性に対する想念も倍加し肉体の快楽をいつも求めてしまう傾向があるそうです

このような人たちは、物にも執着するので、

高級品好きで、さらに所有物の数が多い

そして執着で捨てられないので、家はものだらけ

 

快楽というのは食べるものなども含まれます

高級なもの、グルメ、

マスコミや企業の

買わせるためにヒット商品を作りだす戦略

「スーパーフード」といわれる物などに飛びつく、

安いもの、オーガニック以外は食べないなとと

贅沢なことをいう

綺麗を求めるあまり、身体によいといわれる食品やらサプリメントに飛びついて

それらが身体に合わないこともあるのに

 

 

キレイの執着で、

清潔にしすぎるために、

必要な自己免疫力も低下して

自分の身体が悲鳴を上げていることにも気づかないのです

 

 

また、他人に対しての嫌悪感が芽生えてきて、

そのことに対する苦しみもあるでしょう

 

 

キレイの価値観を人に押し付けるのは、

された方は大変なストレスです

 

 

くつろぐはずの家が

ネチネチ汚い呼ばわりされて

気持ちよく過ごせるわけがありません

 

 

同居人がいる場合は

人のことは、ほおっておくことです

自分の価値観をおしつけるべきではないです

どうしても自分の好きなようにしたいのなら

一人暮らしをするしかありません

 

 

自分の身体だけは清浄なものという妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめ、高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていくそうです

 

マルチタスクで脳に損傷、痴呆症の原因になる?!

忙しい現代人

 

常に、より効率よく物事をこなすために、複数のことを同時に行う作業

マルチタスク

を私も子供のころから当然のようにしてきました。

 

テレビやスマホを見ながら、食事をするのは当たり前

お化粧しながらニュースを聴く

料理しながら電話・・・

 

テレビの情報番組などでも、

マルチタスクはボケ防止になる、

脳の運動になるなどと大々的に言っていましたし、

ネット検索などをしても、まだこの説が多数だと思います。

 

 

しかし、京都大学、英オックスフォード大学の研究グループが明らかにした事実は

なんと

真逆、脳にダメージを与える

という衝撃の結果だったのです。。

マルチタスク人間は存在しない。2つのことを同時にすると中途半端になってしまうことが解明(京都大学研究)

事実、私自身も

シングルタスクを極める

上座仏教の

ウィパッサナー瞑想

をするようになって、

集中力が高まり、

複数のことを同時に下手にするより、集中して1つのことをする大切さ、
実はその方が効率の良いことが

しみじみと分かってきたところなので

なるほどその通りだと納得しました。

 

それに、思い起こせば、今までの経験からも、

ふむふむ、、と思うことばかりです

 

例えば
まだスペイン語がまだかなり怪しかった頃の
料理教室で

クラスの最中に
料理をしながら、

生徒のスペイン語での質問に答えること、

これは私にとって、とても大変なことであり、

非常にものすごいストレスで

両方がへたくそになりとても困りました

 

イギリスでのボランティア中も、同じく、マッサージをしながら、

まだスキルの低かった英語で答えること・・・

両方、ますますうまくいかなくなるんです

当時は、自分の実力のなさ、

頭の悪さが問題だと決めつけていました。

しかし、これで脳を少しずつ損傷しているなんて、ショックですよね。

マルチタスクをすると脳を損傷!一つのことに集中すると生産力はアップする

高齢者向けの

痴呆症防止のメニューとして

右手と左手で違うことを同時に行う

などの脳トレをしていたので

ゾッとしました

 

これが逆に 痴呆症の危険を招くなんて、、、

もう、金輪際行いません!!!

テレビやインターネットの情報、

鵜呑みにしてはいけないと

ますます思わずにはいられなくなる

出来事でした・・・

これからも、今までの常識をひっくりがえすような

確かな研究結果があった場合、

すぐに取り入れ、

健康情報を改めていきます!

 

 

人生の最後を牢獄で過ごしたいですか?

日本は長寿大国

ではなく

実は

「寝たきり長寿大国」である

というお話をしましたが

 

高齢者向け 介護なしの身体を作る

 

介護人材が、大幅に不足し、多くの介護難民が出ると言われている

2025年問題

(2025年に団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に達する)

が、間もなくやってきます

 

 

介護士として、日本の老人施設で働いた経験についてお話します

 

「牢獄のようにまるで自由がない」

「飲みたくない薬を無理やり飲まされ、副作用で他の病気になった」

「まだ何とか歩けるのに、危なっかしく歩きまわるのを嫌がられて、車いすを強要されている」

「生きたい時間にトイレに行かせてもらえない」

「一度トイレで転んだら、オムツにさせられてしまい、お尻がかぶれて痛くてしょうがない」

「夕食が早すぎて(夕方5時)お腹がすいても、何も食べさせてもらえない」

「食事時にむせこんだら、危ないからと、点滴にされ、食事をたべさせてもらえない」

(胃ろうを勧められているが、食べたい)

「巣分量が決まっていて、のどが渇いているのに何も飲ませてもらえない」

「座りっきりで、足がいつもむくんでいて辛い」

Etc

入所者の方たちの声です

 

家で一人でいるよりは、

人がいて安心だという方も少ないですがいましたが、

痴呆のないしっかりしたほとんどの方は、

何かしら不自由を感じているようでした

 

 

正直申し上げて

このような介護施設には

自分は将来、死んでもお世話になりたくないと思いました

 

家族や知り合いにも絶対に勧めたくないです

 

そこは、まさに 牢獄のようだったからです

 

また、介護士人材が常に不足するわけもわかりました

 

責任が重く重労働

(事故があった場合の責任の重さ)

あまりの低賃金、

(2020年現在でも、地方都市で時給800円代でフルタイムで働いても手取り12万円ぐらいという驚きの安さの施設も多数ある)

ひどい待遇

(休みは日曜、祝日などほとんどフルタイムの場合は無理なうえ、サラリーマンのようなゴールデンウィークのような長期休暇はない、残業代はなし など)

 

入所者からのセクハラなどもあります

 

しかし一方で

入所者に悪態をついたり、

虐待ではないかとおもわれるような

言動の看護師や介護士もいました

 

このような皆が嫌がる汚い仕事もある

人助けをする仕事を

このような低賃金でしようと思った人です

元々心の優しい人だったはずと思います

長年の仕事の疲れやストレスで

心が病んでしまっているのかもしれません

 

 

先にリンクを貼った記事でも言っていることですが、

看護師、介護士が精いっぱいやったところで

人手不足で、24時間一人一人にぴったり寄り添うのは不可能ですし

事故は時々起こってしまいます

 

高齢者でなくても

家の中でで転んだりするのは

たまに起こることですよね

 

ただ、高齢者の場合は、骨がもろかったりするので

骨折などの大ごとになってしまいます

 

なんでも施設のせいにする、

入所者の家族、

 

80代、90代で事故で亡くなっても

平均寿命で老衰で死んでもおかしくない年です

 

ろくに面会にも訪れずに

親の面倒を押し付けている人たちです

死にかこつけてお金が欲しいのでしょうか

そのために活躍する弁護士もたくさんいますね

 

事情はそれぞれあるかもしれませんが

自分の親や家族を

一生けんめい面倒見ていただいている職員に

感謝するどころか

文句ばかり言うまえに

看護師や介護士が直面している

人で不足の問題点にも着目してほしいです

 

 

介護士として働いた期間は

どうにも手におえない問題ばかりで

毎日複雑な気持ちで過ごしました

 

 

そして私なりの結論として、

 

 

現状では

老人ホームや特別養護老人ホームのような場所では

まだ少しは元気が残っていた高齢者を

事故などで賠償責任を取ることを恐れて

仕方なく

食べて寝て排泄するだけの

”虚しい老人”にするのを

お手伝いをするのが、

介護士の仕事

というように理解しました

 

 

 

入所者の中で

背中が丸く、クビが完全に垂れていて

顔を上げることが全くできなかった女性が

レイキと精神的に励まし、

姿勢をよくするためのエクササイズを教えて

一か月ほどで、普通に正面を向けるようになりました

始めて笑顔も見せてくれるになりました

 

お叱りを受けるので

周りにわからないようにやっていましたので

看護師や介護士たちは、とても不思議がっていました

 

しかし今までは生気もなく車いすの上でおとなしかったのに、

姿勢がよくなったおかげで

食事もしっかり食べるようになり

元気になって立ち上がったり

動き回られるので、迷惑がっていました

(涙)

 

しかし、その後も、何かにつけていろいろな薬を飲まされてしまうので

副作用で、昏睡していたり、

眠れなかったり、

容態が安定しません

 

 

他にも、手の動かなかった人

足のむくみがひどい人など

簡単なマッサージや運動などを教えたりして

症状がよくなったと喜ばれたにもかかわらず

「勝手なことをするな」と叱られたりしました

 

 

元気になると監視が大変になるので困る、

良くなることを禁止されるので、

入所すると急速に老いて寝たきりにさせられるのも

無理はないです

 

リハビリを少ししたところで、それを練習することができないのですから、

何の足しにもなりません

 

 

高齢者施設を牢獄以下の場にする「拘束の神話」

 

 

スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか 幸福度世界1位「北欧の楽園」に学ぶ老いと死

 

 

日本経済、少子化の若者を圧迫する

「高齢者の寝たきり問題」

これを根本的に解決するのは、

施設や介護士を増やすことではなく、

 

スウェーデンのように

高齢になっても自立して、元気に暮らせるようにすること

 

ただ食べて寝て排泄するためだけに

延命治療などされずに、

寿命がきたら

ピンピンコロリと、

人のお世話にならずに

自由に自宅で死ぬことではないでしょうか

 

そのためにも、

将来、介護されることを予想して貯金をするよりも、

最後まで介護されないために、

今のうちから自分の健康に投資するべきです

 

年だからしょうがない

高齢になったら動けなくなるのは当然だ

という考えは、もう古いです

 

100歳超えても、元気に自分の足で歩く方がたくさんいます

自分の健康を管理すること

 

それが、これからの高齢者の義務であり

日本の将来に貢献することでもあります

「空しい老人」になって、社会に迷惑をかけてまで

長生きしないでください

人間としての尊厳を忘れないでください

 

 

現在介護の必要な方でも

ご本人が、元のように自分の足で歩きたいという意思があり

あきらめなければ

良くなる可能性はあります

 

当然、ケガなどのリスクはありますが

それはあくまで本人の自己責任です

それを恐れていては、ただ何もできなくなるだけです

 

 

ウキウキスタジオは

寝たきり高齢者をゼロにすることを目指しています

 

人生最後の日まで

ウキウキ

元気に

過ごしましょう💛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

以前から、仏教に興味はあったものの、

どのように勉強したらいいのかわからずに

困っていました

 

仏教といっても、いろいろな宗派があり

どれを参考にしたらいいのか・・・

 

なかなかこれだ!という師に巡り合えず

数か月が過ぎたころ、

 

先日ある禅士の勧めで読んだ本に

心を動かされました

 

「心に怒りの火をつけないで」~ブッダの言葉(法句経)で知る慈悲の教え /    角川文庫

 

 

その後、その著者、スリランカのお坊さんが

日本にいることを知りました

 

日本テーラワーダ仏教協会の

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 

 

ブッダ、釈尊の根本的教えを学ぶことができます

 

 

根本仏教協議

 

スマナサーラ長老の法話をこのHPで読むことができます

毎日、長老の教えを学ぶことが楽しくてしかたない今日この頃です

思いやりの気持ちで危機を乗り越えましょう

またもや、デマのSNSにより、スーパーでの食品買い占め、売り切れ状態になっているそうです

このニュースを見て、またパニックになって事態は加速する・・・

どうしてこのようなことになるんでしょうか

 

 

誰かが買い占めをすることによって、今日必要な食品を買えない人が出てきます

イギリスのニュースでも、仕事帰りに食べ物を求めてスーパーに来たが、何も買えないかったと泣きながら訴えている人の映像を見ました

このような、コロナウィルスさわぎでも、職場にいかなければいけない人たち、

自宅待機できない人たち、

医療関係者、警備にあたる人、ケアワーカー、報道関係、行政の人たち、その他、買い物をする時間が限られている人たちが、スーパーに行ってももうそこには買えるものは残されていません

 

 

 

 

今回の「食料が買えなくなるかもしれない」というのはデマのようですが、実際そのような事態になった時

自分さえよければ

自分の家族さえ食べ物があれば

それでいいんでしょうか?

 

 

南米はまだまだ貧しい人たちがたくさんいます

食べ物や服を困っている人たちに分け与える文化があります

自分たちも裕福でないのに、困っているときはお互い様、と見返りを求めずにそのような行いができるのですね

 

 

良いことをする目的は、良い結果を得るためではなく、自分の心を浄める(清める)ことである、とお釈迦様は言っています

 

 

その反対に、悪いこと、(盗みや人を傷つけるつけることだけではありません)を進んで行えば、自分の心がどんどん汚くなっていきだけでなく、必ず悪い結果になっていきます

食料買い占めは、一見、「悪いこと」とは思わないかもしれませんが、それによって困る人がいるのです

 

非常事態にこそ、その人柄、人格がわかるものです

皆で助け合って、緊急事態を乗り越えましょう

 

 

 

 

コロナショックの教訓

パンデミック

コロナウィルスショックで

世界中の人たちが

強制的に外出禁止

または少しでもリスクを下げるために

なるべく自宅待機を迫られています

 

 

思わぬ時間の余裕ができて

今までできなかった家の片づけをしたり

家族団らんや

趣味を楽しんだり

人それぞれの時間を過ごしていることと思います

 

 

私もイベントが中止になったりと

時間ができたので

いつものように何か仕事に役立つ情報はないかと

仏教についてもっと勉強しようかとネットサーフォンをしていて

ある人のブログにたどり着きました

 

 

自分の子供の時からの持病

このせいで、今までいろいろなことをあきらめざる負えなかった

辛い病気・・・

これだけは

どうしてもレイキで治せないので

自分の前世のカルマなのかとあきらめていたのですが

そのブログを書いている方に

霊障かもしれないと言われ

驚きました

 

 

どうりでレイキが効かないわけです

 

 

それがきっかけで

「生きる意味」「死」

について真剣に考えるようになりました

その答えを探しているうちに

やはり仏教をもっと真剣に勉強するべきだと気づき

毎日励んでいます

 

自分の人生を振り返り、反省することばかりです

 

霊気を始めた時から

自分の心境の変化は感じていたのですが

究極のストレスフリーのカギは

仏教にあるのかもしれません

 

 

ブッダ(お釈迦様)は

過去を悔やんでばかりいるのは

まるで死体を背負って歩いているようなものだ

 

そしてそれは不幸になる練習をしているようなものだといっておられます

反省はこれくらいにして、

善行に励まなければいけません!!!

 

今のままでは確実に地獄行きですし・・・

 

 

コロナショックで

これからの生き方を見直さなければいけないと感じている人は

大勢いると思います

 

 

ウィルス感染で亡くなられた方

重症化して苦しんでいる方

また大変な思いをしている医療関係の方など

大変お気の毒ですが

私たちもこれからの人生を

どう生きていくのか

よく考えさせられるいい機会になったのではないかと思います

 

 

私は、この状況で

待機する家があり、

思わぬ仏教の勉強をする時間ができたことを

周りの人、神様に感謝し

今後はもっと人助けになる仕事をして

心の境涯を高く

慈悲のある人になれるように

明日死んでも悔いがないように

毎日を大切にしていきたいと思います