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ストレス/Estrés, Page 2

性的虐待や性犯罪がなくならないわけ

新聞、インターネットなどのニュースを見ると、

毎日のように見かける

性的虐待 や 性犯罪のニュース

 

被害者は、女性だけでなく、小さな子供、乳幼児までが犠牲になっています

 

性倒錯者、精神異常者は犯罪の発覚を恐れて殺人までします

なぜ、このような悲惨な犯罪が昔も今もなくならないのでしょうか

 

2500年前のお釈迦様の教えでは

このように言っています

 

俗世間では「性欲」は自然な本能として正当化されていますが、

仏教ではそうではありません。

以下、上座仏教テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老による法話より引用します

美しく燃える欲の炎 性欲は危険と苦しみにかぶる目隠し

 

俗世間では、性欲はとても自然的な本能として、正当化している感情なのです。

しかし

性欲が社会に与えているトラブルは、想像を絶するものです。

精神病の大半は、歪んだ性欲が生んだものです。

社会で起こる犯罪の、大半の原因は

”性欲”

なのです

 

幼児虐待、誘拐、殺人、放火などが、毎日のように起こります。

性欲のせいで、非難されて政治の世界から閉め出される政治家もいますし、

会社を倒産させる人々もいます。

不倫、夜の街での遊びやらで

家庭を崩壊に追い込む人々の数は膨大です

 

諜報活動にも性欲が大事な役割を果たしています

治療不可能のHIV感染は、世界的な問題となっています

 

貧しい国々の子供たちに売春を強いるので、

彼らが人権どころか生きる権利まで奪われているのは、

性欲のせいなのです。

 

人間社会にいくら不幸を与えても、俗世間は性欲を正当化する。

 

性欲は、自然な本能だと思う。

 

必要不可欠なものだと思う。

 

しかし、この考えは単なる主観的な感情であり、

 

客観的な事実ではありません。

 

「子孫を残す」ということに人間も他の生命も必死なのです。
それは客観的な事実です。

しかし、子孫を作ることでその生命が得るものは、何かあるのでしょうか?

食欲も欲ですが、それは満たせないと命を失います。
ですから、必然的に満たさなくてはならない欲なのです。

しかし、性欲を満たせないからといって、命を落とすことは決してあり得ないのです。

それなのに、なぜ性欲は断言的に正当化しているのでしょうか。

それは性欲が、生命の追う様々な

「好き」

の中で、かなり強烈なものだからです。

 

ですから皆、性欲が満たされることを期待するのです。

 

「子孫を残す」というのも、実は表向きの言い訳に過ぎません。

 

人間の間では、結婚にも異性との関係にも興味はないが、子供を欲しがる人もいます。

その人々は子孫を残したいという気持ちではなく、子育てが「好き」で、それを喜びたいのです。

 

現代社会では子供を作ることを完全に否定して、性欲だけ満たして生きていきたいと思う人々の数が多いのです。

性欲は決して生きることに欠かせない本能ではありません。

音楽を聴く、贅沢をするなどのように、もう一つの強烈な欲なのです。

性欲を満たすことで命が延びるというよりは、縮みます。
体力・精神力・財力を大量に費やすことになります

人は、性行為から得る快楽に強烈に執着します。

猛烈に依存するのです。

ですから、その快楽を得るために費やすエネルギーの量は全然気にしないのです。

日常生活の中で様々な問題が起こるとき、楽しみや充実感を得られないとき、人はその苦しみのはけ口として性的快楽に依存することもあります。

ブッダは、性欲は割に合わないほど不幸を招くもので、心の成長を妨げるもの、人を苦しみに徹底的に依存させるものであると説くのです。

個人は自分の幸福を目指して心の成長を目指し、様々なトラブルや苦難を避けるために性欲の依存をやめさせなくてはいけないのです。

自分の快楽のために他人の命を弄ぶことは人権侵害であって、慈しみの正反対です。

 

 

表は「好きと会い」、裏は「悩みと恐怖」世界が変わっても苦しみは消えない

 

世間は、人が「好き」になる対象の方を問題にしています。

たとえば、イスラム教では、男をみだりに誘惑するという理由で、
女性は夫以外の男性に手首と目元以外見せてはいけないことになっています。
結果として、女性は身体を完全に隠して生活しなければならないが、

女性の手足顔、髪の毛などを見ただけで性欲をむき出しにする男性の方は自由なのです。

タバコを吸いすぎて病気になったら、タバコ会社を訴えるのです。
例えばアメリカのフロリダ州のGrady Carterさんが、Brown & Williamsonタバコ会社を訴え、$750,000の損害賠償に勝訴しました(CNN June 29, 2001)。
麻薬の密輸入、売買、所持などを取り締まって、人々が麻薬に依存することを止めようとする。

このように、人が好きになる「対象」を目の仇にするのが、世間のやり方です。

仏陀のアプローチは違います。

何かを好きになるということは、その人の心の問題です。
その人個人の主観的な感情の問題です。
もし対象が原因だとするならば、すべての生命の心に、同じ結果が現れる筈です。
タバコを見たら誰でも吸いたくなるわけではありません。
麻薬を見ただけで人は誰でも服用しようとはしません。
ある人が美人だからといって、すべての男たちが欲望を抱く訳ではありません。
「好き」は明らかに主観的な問題です。直すべきなのは、個人の心であって世界ではありません。

仏教は一貫して心を向上させること、清らかにすることを勧めています。

何かを「好き」になるということは、その何かに依存することなのです。

それが心が弱い、汚れているという証拠なのです。

ですから、仏陀は二段階に分けて解決方法を説きます。

まず好きになる対象から身を引く。

次に、依存しなくても幸福でいられるように心を育てる。

 

 

法律で悪いものを禁止しても、人は直りません。身を引くことにもなりません。

ですから、自分で「好き」になる対象から身を引くのです。表面的には世間のやり方と似ているようですが、実際は違います。

「好き」は主観的な感情です

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世の中は実に性欲を煽る物があふれています
先進国では、お金のためにそれらを武器に商売にしている女性もたくさんいます
それを求める人がいる限り、それは、いつの時代も、お金を得るためのビジネスです

はびこる

女性蔑視、男尊女卑の根底には
女性を「性欲の対象物」としか見ない
ということです

 

 

性犯罪者たち悪業は大変なものです

今世で犯罪が発覚して罰を受けても、また、運よく誰にも知られなくても、それで終わるわけがありません

来世で報いを受けるその恐ろしさを知ったら、きっとこの世に犯罪者はいなくなるかもしれません

輪廻のことは大変複雑らしいですし、また死んだことのない(死んだ経験をできない)私たちには知る由もありませんが、

世の中はちゃんと平等にできているそうですので、

その大罪は決して消えることはないでしょう

私たちは、俗世間の常識のようになっている、

この「性欲の問題」を、

もっと真剣に考えなければいけないのではないでしょうか

 

表現の自由とか、欲を煽るものを、取り締まったところで、見たい人はどのようにしても見るのでしょうが、

子供の教育をする時点で、

性欲が、大変な危険を犯してしまう可能性があるということを教えるべきであり、

俗世間の常識ではなく、

子供たちの手本となる道徳のある大人が増えることを願っています

 

こちらに、欲をコントロールする良いアドバイスなどがあります
参考までにリンクです

http://bbs1.sekkaku.net/bbs/?id=theravada

ストレスで死なないために

仕事で嫌なことがあった、

職場の人間関係に悩んでいる、

業績が上がらない・・・

 

 

ストレスはたまりにたまって

限界を超え、そして、ついに、倒れる

 

働き盛りの社会人が脳梗塞やら、心不全で救急病院に運ばれ、

運よく助かっても、

その後、どこかがマヒしたり

障害を持ったまま、老後をすごさなければいけなくなる

 

責任感の強い

我慢が美徳の

日本人によくあることです

 

どんな職業を選んでも

好きな自営業でも

何かしらのストレスがあるのは仕方がないことです

 

しかし、昨日今日のストレスで、

大病になるわけではありません

 

倒れるまでに

何かしらの身体の不調のサインはあったはずです

ストレスを発散させるために

気晴らしをしても、

大酒を飲んでも、

すぐに、ストレスの原因を

何とかすることができないのなら

もっと症状は悪化するだけです

 

体調が悪くなっているのを感じているのに

我慢してその結果大病で倒れても、

社会は、意外と冷たいものです

 

今まで功労しても、

今現在使えなくなった人材は、さっさと見放されます

自分がいないとダメなんだと思っているのは自分だけで、

実際には、代わりならいくらでもいるのです

しかも、あまり若くない、賃金の高い社員は

辞めてもらういいきっかけができた

ぐらいに思っているかもしれません

 

 

健康は、何にも代えがたい大切なものです

職場は、万が一になっても、助けてくれません

自分の身体は自分で守るしかないのです

 

責任感でストレスをため込んで、倒れることが

実は社会に迷惑になることもあるのです

寝たきりになって、家族を悲しませる

その状態が長くなれば、

費用もかさみ、

介護で、家族も疲れてしまい、

最後は迷惑がられてしまうこともあるのです

家族だけの問題ではありません

誰かが病気になれば、税金だってたくさん使われます

 

ストレスで病気になっても

誰にも何にもいいことはないのです

 

 

私は、かつて、職場でストレスから体調不良になったことがありました

 

血圧が異常になり、胸が締め付けられたり、

呼吸困難になったり、

かつて経験したことのない、恐い症状になりました

数か月前に、健康診断で異常がなかったので、

明らかにストレスが原因です

 

2週間ほど様子を見ましたが、

悪くなる一方です

 

このままほおっておいたら、絶対に倒れると思ったので、

躊躇なく、仕事を辞めました

 

早く対処したおかげで、その後、

短期間で、体調を回復させることができました

 

 

イジメなどの問題でもそうですが、

絶望的になる前に、考えてください

他の解決策が絶対にあるはずです

 

仕事は他にもいくらでもあります

 

でも、自分の身体は、他に代わりがありません

 

今の仕事で頑張った功績は他で評価されないかもしれませんし、

賃金や条件も悪くなるかもしれませんが

健康なくして、仕事はおろか、

家族にも精神的に見放されて

辛くて生きていくこともできなくなるかもしれません

 

倒れたのhが、定年まじかだったら、

そのまま、寝たきり老人になってしまうこともあるでしょう

 

健康を害するほどの責任感

ストレスを我慢しすぎることは

美徳でもなんでもありません

 

 

一日も早く、自分の身体のSOSに気付いてください

 

他人の過ち、したことしなかったことを見ない

ブッダの言葉

ダンマパダ(Dhammapada 50)

 

他人の過ちや、したことしなかったことなど、観る必要はない。

自分を観るべきです。何をしているか、何をしていないのか、と。

 

 

人間は皆、「自分は正しい」と思っています

 

でも・・・

人の意見、価値観は 百人十色

誰一人として、

脳の中身が同じ人はいないのですね

 

 

そして人間は、

困ったことに、

他人のやることは目についてしょうがない

 

 

自分と違う、他人のやり方、意見、価値観を

認めることができません

 

 

そして、「正しいと思っている自分のやり方、意見、価値観」を

他人に押し付けてしまうのです

 

お互いが

「自分が正しい!」

と思っているのですから

結局ぶつかって、対立します

 

ブッダの教え

 

他人はほおっておく、自分だけを観る

 

すべての人が、この教えを実践したら

人間関係がすべてスムーズ

ケンカをする夫婦もいなくなりますね

 

実際、人間は皆、不完全であり

自分の意見でさえ、

本当は正しいのかもわからないのですから

 

他人のことは観ないから私のことも観ないでください

 

これでストレスはかなり軽減します

 

 

 

一般的に、宗教って怖いイメージですよね

 

私も普通の日本人に多い、

「無宗教家」

ですし

宗教家になろうとは思ったこともありません

 

 

上座仏教は宗教ではなく

人生を幸福生きるための

【教え】

だそうです

 

 

あまり評判のよくない新興宗教でも●●仏教などと言うそうなので、

素人には宗派の違いもよくわかりませんが

宗教団体ですし

一人で勉強するというわけにもいかなそうです

 

 

上座仏教の長老によると、日本のたくさんある仏教の宗派は、お釈迦様の初期の教えとは違うそうです

 

私は、心の病気を治したり、ストレスをなくすために

仏教の教えが役に立つと思いました

 

どれを勉強しようか悩んで、

スマナサーラ長老の お釈迦様の本来の教えである

上座仏教がしっくりきました

 

テーラワーダ仏教協会の

長老たちの法話を読んでみる価値は大いにあります!

日本テーラワーダ仏教協会 法話と解説

 

キレイの価値観も人それぞれ

人間のキレイの価値観

 

ある部屋をみて、

その家の人は

昨日掃除をしたと言っても、

 

「まあまあ片付いていてキレイ」

と思う人もいれば、

「服やら物が置きっぱなしで汚らしい」

「部屋のすみのホコリ」が気になる人や

匂いが嫌だと思う人も

 

Aさんのキレイの価値観

Bさんのキレイの価値観

Cさん、Dさん・・・

誰一人同じではないのが普通です

 

自分の家をきれいにしておきたいために、

家族や同居人に自分の価値観を押し付ける

潔癖症気味の人たち

 

他人の足や手は汚いので、

家に上がるときに足を拭いてほしいとか

手を洗ってくれとか

(今はコロナ感染予防もありますのでしかたないですが)

どこにも汚いところに上がってなくても

靴が汚いので、その足で上がられると汚いそうです

 

そういう自分は、同じスリッパを

全く洗わずにずっと履いています

十年来大切にしているブランドの靴も相当汚いはずです

お使いのスマホやらバック、どこかに置いたり、触ったりした後、

毎度毎度 消毒してなければ、きっとばい菌だらけですよ

 

フローリングの廊下は、

綺麗に拭き掃除もできますが、

何十年も使っている絨毯などどれだけ垢で汚れているか

 

家の中だって十分に汚いのに

 

とにかく、人のことは汚いのです

 

 

人間は不浄である

と お釈迦様は言っています

 

以下

テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のパティパダー巻頭法話より

悪魔に勝つために① 自分は美しい人間か 

身体は穢いものです。それは事実です。その証拠にあなたは毎日のように入浴をするでしょう。
一週間ほどからだも顔も洗わず、歯も磨かず、下着もそのままにしていたらどうなるでしょう。結果は想像できますね。人間はみなおいしいものを食べます。しかし、おいしいと思ったその食品も口に入った途端汚いものに変化していきます。ちなみに、自分の大好物な食べものをひと口噛んだあともう一度手のひらに戻しその大好物だった食品をよく観察してみてください。それからその一度噛んだ食品をもう一度口のなかに戻してみましょう。ちょっと常識ではできませんね。実際それをやらずとも想像するだけでも試してみる自信のある人などいないはずです。

咳、痰、膿、尿、便、汗、鼻くそ、耳垢をはじめ、胃や腸など内臓など自分のものでないかぎり他人を不快にするものばかり人間一人一人が所有しているのです。さらに言えば、口から入ったものは内臓を下に行けば行くほど不浄なものに変わってしまい最後は大便として排出されてしまいます。

人間の肉体はまさに不浄の塊、不浄の工場といった観があります。

ところで、不浄随観ふじょうずいかんは仏教の瞑想法のひとつです。からだが清浄なものとおもっている妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめます。高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていきます。

 

 

掃除の仕方にしても

人それぞれ、キレイの価値観は違うので

キレイになってない、気に入らないということになるのでしょうが

 

例えば、そういう人の場合

朝、水拭きしたキッチンの廊下

数人が使えば、半日でも床はうっすら汚れるのに、

昼過ぎに、こんなに汚いのに、どこを掃除したのだ

といったりするでしょう

 

そんなにピカピカにしなくても

あなたの足の方が汚いのですよ

足の裏からは汗をかき、

汚い絨毯を歩き回っているのですから

 

 

自分の場合

一日一回は必ずシャワーを浴びて

インナーは洗った服、短時間着用の場合や、汗をかかなかった場合は、スカートなどは2回着るときもあります。

 

靴の中はたまに洗うし、インソールを使ってを洗います

靴下は汚れたところを歩いた場合はすぐに家に入るときに脱ぎますが

今いる場所は絨毯なので、どうせ完全にきれいにできないので

あまり気にしません

掃除は週に3回ほど

他は気になった細かいところは、その都度掃除する

ミニマリスト的な生活が好きなので、

物が非常に少ないので、掃除も楽です

(いつも、私が死んだあとは、片付ける人楽でいいだろうなーって思います(笑))

 

それ以上やる必要もないし、十分清潔で汚れているとも思いません

やらない人を射たらきりがないですが、

これでもキレイ好きな部類にはいるのではないでしょうか

(これも、比べようがありませんね)

どうせこの瞬間も、身体は生きてる限り不浄になるのだから

気にしても苦になるだけ

人に迷惑をかける(そばによると臭いなどは、やはり害ですよね)ことは絶対ない程度にすればオッケーだと思います

 

潔癖症はある意味、精神病です

 

このように自分のからだが清浄だという思いこみがある人は

自分に対する妄想や苦しみ、悩みは増量される一方で

快楽に執着し異性に対する想念も倍加し肉体の快楽をいつも求めてしまう傾向があるそうです

このような人たちは、物にも執着するので、

高級品好きで、さらに所有物の数が多い

そして執着で捨てられないので、家はものだらけ

 

快楽というのは食べるものなども含まれます

高級なもの、グルメ、

マスコミや企業の

買わせるためにヒット商品を作りだす戦略

「スーパーフード」といわれる物などに飛びつく、

安いもの、オーガニック以外は食べないなとと

贅沢なことをいう

綺麗を求めるあまり、身体によいといわれる食品やらサプリメントに飛びついて

それらが身体に合わないこともあるのに

 

 

キレイの執着で、

清潔にしすぎるために、

必要な自己免疫力も低下して

自分の身体が悲鳴を上げていることにも気づかないのです

 

 

また、他人に対しての嫌悪感が芽生えてきて、

そのことに対する苦しみもあるでしょう

 

 

キレイの価値観を人に押し付けるのは、

された方は大変なストレスです

 

 

くつろぐはずの家が

ネチネチ汚い呼ばわりされて

気持ちよく過ごせるわけがありません

 

 

同居人がいる場合は

人のことは、ほおっておくことです

自分の価値観をおしつけるべきではないです

どうしても自分の好きなようにしたいのなら

一人暮らしをするしかありません

 

 

自分の身体だけは清浄なものという妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめ、高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていくそうです

 

片付けられない人に無理強いは禁物

私は、小さい頃、朝学校に出かけるのに、

運動着が、お気に入りのあのスカートが、ノートがない、と

常に物を探していて、その度に母に「ここにあるでしょう!」と叱られていました。

 

今思えば、

それは見つけられない私のせいではなく

実は、母は、片付けがあまり得意でなく、

物の場所決めをしない人だったので、

物が同じ場所にあることがなかったので、

いつも探し物を見つけることができなかったのです。

 

親の印をもらって提出などの紙などは、母も積み重なった本やら書類の中からいつも探していました。

 

彼女は典型的な買い物好きで、

物が多くて、

それを片付けずに並べておくタイプです。

 

大きな納戸やクローゼットなどに入りきらず、物がそこら辺中に並んでいます。

幸い家が以前よりもかなり広くなっているので、物が増え続けていても、すごい圧迫感はないのですが、短い期間でもこの家に滞在することがある時は、自分のものはすぐに自分の部屋に引き上げておかないと、勝手にどこかにおいやられてどこにあるかわからなくなります。

 

性格は変わらないですね。

 

残念ですが、どんなに素晴らしい片付け本が出回ろうと、お片付けのプロが指導しようと、片付けを必要と感じない人には無駄なこと、

片付けろと言っても、ケンカになるだけだということを、自分の仕事の経験からもいやというほど学びました。

母が亡くなった時に、片付けにどれだけの時間と費用がかかるんだろう… と気が重くなります。

自分はその反面教師で、片付けが趣味になりました。

 

カテゴリーごとに物を分け、置く場所を決めて、取り出しやすさとか、在庫が見やすくなる工夫など、日々研究してましたが、思春期になりオシャレに興味を持ち、服や装飾品が増えてからは狭い空間で片付けにストレスを感じ始めていました。その頃はまだ捨てることは苦手で、物への執着が強かったからです。

 

 

海外に何年も住むのにスーツケース 2個で出かけて暮らせたことで、必要なかった物がわかり、また必要最小限の物で暮らすことの快適さに気づかされました。

レイキを始めたぐらいから、物への執着もめっきり減ってきました。

物が少ないとお片付けが楽なんです。

置物、絵画、物入れなども、目は喜びますが、

実は置いておくだけでホコリをかぶるので、掃除がめんどくさい。。。

物がクローゼットに入りきらなくて床を埋め出すと、掃除のたびにそれをどかさなきゃいけないのでまためんどくさい。。。

根が不精なので、ミ二マリスト的な生活が楽なのかもしれません。

海外では、仕事は違法になるので、ボランティアで節約生活だったので、

いかにものを買わずに生活するか知恵を絞っていたことが役立ちました。

 

 

コンマリさんや、断捨離の山下さんは、家族が片付けない場合、自分だけでも綺麗にしておけば、だんだん家族も感化してくると言いますが、

正直言って

広い家の場合は

実際はなかなかそうもいかないと思います。

 

物に対する執着がどうしても捨てられない人は、

精神的に病気なのです。

 

コンマリ本を読んではみたものの、結局片付けられなかった人、

捨ててしまって大後悔する人、

一度は片付いても、また物が増えて片付かない人など、

結局失敗に終わっても、希望はあります。

 

ご自身が「本気で片付けたい」という意思が何より大切です

 

いくつかの失敗例を紹介します

すごい汚部屋(アパート)に住んでいた友人の家を、彼女の旅行中に、3日間ほとんど睡眠も取らずに片付け続けたことがあります。

彼女の家は、ロンドンの中心地にあって、たまに、近くに行った時に泊めてもらっていたのですが、足の踏み場もない、床が見えないほど物で埋め尽くされていて、私物を彼女の物で溢れたテーブルの上に置いたら最後、もう最後、見失ってしまう凄まじさでした。

ボランティア活動でお金がなかったので泊めてもらっていましたが、汚いし心地よくはなかったです。

テイクアウトのヨレヨレの使用済容器、賞味切れ何年も経つ食品、冷蔵庫や棚には腐っているものも多々あり、カビだらけに浴室なども汚くべとべとになった使いかけのシャンプーやボディケア類が何十本も物を置くスペースだけでは足りずにバスタブの周りすべてに並べてあり、キッチンもとても料理をする気になれない酷さでした。

彼女は医者でありながら、ひどい仕事の人間関係のストレスに悩まされていて、何十キロも太り、半ば精神病のようになっていたので、せめて住居が快適になればストレスが改善するのではと、ボランティアで片付けを申し出ました。

莫大な物たちをカテゴリー別に分ける作業をするスペースもなくとても大変だったし、捨てたくないという本人の希望を優先し、ほぼ掃除と片付けだけに絞ったのですが、限られた狭いスペースに、莫大な量の物を整理整頓するのが難しくて、何度も収納をやり直し3日間で充分だろうと思っていたのに寝る時間を惜しまないと終わらなかったほどでした。

カビだらけの壁やパスカーテンも新調し、汚いキッチンなども掃除してピカピカにして、大満足の私でしたが…

3日後に帰ってきた彼女は、喜んでくれるどころか、腐っていたものや賞味期限切れの物を捨てたことにものすごく腹を立て、その後、険悪の関係になってしまったのです。

好意のつもりが、こんなことになってしまって、自分もその時は腹を立ててしまったんですが、今思うと、価値観の違う人を変えようとした自分もいけなかったと反省しています。

良かれと思ったことも、その人にとっては迷惑でしかないこともあることを学びました。

これはコンマリさんが世に出るちょっと前の話ですが、小さい頃から、自己流で片付けが好きだった私にとっては、コンマリ流片付けは既に実践していたことばかりでした。

執着から離れて捨てるということが難しいですね

1年半ほど前、アルゼンチンで、コンマリ本を読んで共感したので実家を片付けてほしいという女性の依頼で高齢の体の不自由な彼女のお父さんの一人暮らしの家を片付けました。

ご本人のおじいさんも、キレイにしてほしいとのことだったのですが・・・。

 

その広い家は、たまには娘、息子、孫たちが集まることはあっても、奥さんに先立たれてから十数年もほったらかしだったそうで、一見片付いているように見えたのですが、ふたを開けてみると、蜘蛛の巣、虫の食った食品、カビたもの、腐った食品、悪臭のする衣類や本、ゴキブリだらけのあまりにも汚いバスルーム・・・娘さんが依頼したかったのも無理もないゴミ屋敷でした。

しかし、始めてみると、娘さんがおじいさんに確認すると、なんでも”捨てたくない”の反発がすごくて片付けたい娘さんとサンドイッチになってしまい、、困ってしまいました・・・しかし、なんせ身体も不自由なので、娘さんの希望通りのものを捨てて掃除し片付けました。

書斎からキッチンに来たおじいさんは、物の置き場が違うこと、腐ってる物や賞味期限10年経過のものなどを捨てたことにひどく腹を立て、大変でした。

かなり大変な片付けで、おじいさんにお金がない、とのことで、ほとんどボランティアでやったにもかかわらず、とても清潔にきれいになったことを喜んでいただけなくてとても残念でした。

これも価値観の違う人を無理やり変えようとした結果なのです。

いくら正しいと思われることでも、本人にとっては迷惑でしかなかったんですね。

これらのことから、十分学んだので、片付けは無理強いせず、ご本人が”物への執着から離れたい”という希望があるかたのみ、お受けすることにしました。

 

 

 

物に対する価値観、物欲の強い人にとっては、

高い安いにかかわらず、お金を出して買った物、いただいた思い出の品、たとえ使用することが今後のなくてもそれらを捨てるのは、どうにも耐えがたい苦痛になのです。

自分も以前、物に執着していた時期があったので、その気持ちはよくわかります。

物が見つからず時間をいつもロスするよ、とか、

もう3年間も使用しなかったのだからこの先必要ないよ、とか、

どんなにもっともな理由を説いたところで、聞く耳をもちません

強行しても、喧嘩になって、関係が悪化するだけです。

 

 

南米で部屋が5つあるアパートで民泊の代理をしていた時は、

自分が責任を任されていたので、アパート中すべてをいつもピカピカに、

余計なものは一切置かずに管理していました。

口コミの評価は、いつも最高点をいただいてましたが、ゲストの中には、物をそこら辺自由に置く習慣の人がたくさんいて大変でした。

誰かと一緒に暮らすと言う事は、それはたとえ家族であっても、

お互いの自我を出すと必ず衝突します。

自分が大家さんとかの立場でもない限り、決まりを作ったところで無駄です。

 

同居人がそれぞれ「自分ルール」をもっているので、それをお互いに主張してうまくいくはずがありません。

人の価値観と言うのは、本当に様々で、例えば、同じ家で育った兄弟姉妹でさえ全然違う事は普通によくあることです。

 

家族が片付けなくて、ストレスを感じている人、多いと思いますけれども、本人が、物の執着をなくして片付けたいと思うまではどうにもなりません。

1人で暮らすのが1番の解決策ですが、その余裕がないのなら「気にしない」練習を積むしかないです。

人間は絶対にいつかは死ぬし、その時には何にも持っていけないんだよね…と考えると、

物にしがみついてもしょうがないなって思います。

 

海外では、家具や家財道具付の場所を借りて暮らしているので、荷物は全部でスーツケース 2個ほどです。

これでも多いな〜 と海日本と海外の往復時は頭を悩ませます。。

 

物欲の執着から自由になるとストレスが減ります

私の場合は、レイキの瞑想と仏教の教えが大変役に立ちました

 

ブッダの教えは、2500年も経った今でも、変わらないのですね

物への執着が捨てられない人にお勧めします

 

基本仏教講義

 

また、レイキヒーリングは、

物への執着から離れるのに役に立ちます!

 

 

自分を嫌いな人を好きにならなくてもいい!

学校、職場、お稽古事、ご近所さん、

いろいろなお付き合いがありますが

どうにも、気が合わない、相性が悪いと感じる人は必ずいますよね

 

 

相手に対して

嫌われるようなことを何もした覚えがないのに

感じが悪い、意地悪される、影で悪口を言われる

ほぼ、誰にでも経験があると思います

 

実は、これは自然界の

262の法則

により、どうしようもないことなのです

 

 

あなたがどんなに素晴らしい人でも

絶世の美男美女でも

逆に、平凡で地味な人でも

あまり賢くない人でも

 

2割の人は、あなたに悪意を持ち

6割の人は、あなたに無関心

2割の人は、あなたに好意を持ってくれる

これが262の法則です

 

 

あのお釈迦様でさえ、万人に好かれなかったわけです

「話しても 嫌われ、黙っていても傷つけられ、およそこの世で悪口をいわれない者は居ない」と言っておられるぐらいです

何千年も昔から世の中は変わってないのですね

 

ちなみに、262の法則は、いろいろなことに当てはまります

ある会社の社員100人がいたら、

20人は優秀、20人はあまり仕事ができない、60人はまあ平均的

 

 

全世界の人に、トマトは好きか?と質問したら、

20%は大好き、20%嫌い、60%どちらでもない

 

 

この法則からいえることは、

イジメなどの問題でも、

自分を嫌いな人を好きになってもらおうとしても、

無理なのです

 

好きになってもらおうと媚を売ったり、無理をしても、効果はないそうです

 

自分を嫌いな人は、どこにでもいるので、あきらめましょう

 

それよりも、自分に好意を持ってくれている2割の人を大切にしたほうが得策です

 

 

日本の教育は、協調・同一化がよしとされ

それは社会に出てもほぼ強制的に求められるので

個性的な人や団体行動が苦手な人などは

標的にされ

イジメなどに会うことが多いです

 

 

もちろん、外国でも、そのような意地悪な人はいます

ただ、わかりやすい、、

 

日本のようなグループで陰湿な感じではないです

 

 

大概の誰かを嫌いな理由というのが

実にくだらない

 

その人の何かに嫉妬している

自分に興味を持たないから

昔フラれた彼(彼女)に似ている

など

 

学校でのいじめにはじまり、職場などで集団でイジメをするような人間たちは

とても魂の未熟な人たち

 

大概、何を言っても、聞く耳も持たないし

直ることもないです

 

グループだと強いけど、実際は小さくて意気地なしの人間で

親分格であろうと、

一人でいる時、

「影で悪口言ってないで 私に直接言ったら」

などと言ってみると、ビックリしてイジメが収まるということが稀にあります

 

しかし、もっと陰湿になったりすることもありますので

悔しいでしょうが、そんなおバカな人はどこにでもいるものだと、あきらめましょう

 

悪口を言われたり、イジメられたりする事は、本当に辛いことですが

それを恨んで、仕返しすると、相手と同じ低いレベルの人間になってしまいます

このような最低な人たちは、必ず、自分がした報いを受けることになっています

 

 

私の実体験からも

後に破産したり、仕事で大失敗したり、思いもしない災難がそれらの意地悪な人たちに起こっています

誰にもバレないように、陰湿にやっても、

神様は見ています

 

放っておいても、その人たちは必ずひどい目に会うことになっているのです

 

カルマの法則は本当に怖いです

 

 

今世、その報いを受けなくても、来世にもっとひどい目にあうかもしれないし、

まずは死んだ後に、恐ろしい罰が待っています

 

 

死後の世界や、生まれ変わりを信じない人は

ある意味かわいそうだと思います

 

どう死んだら終わり、今世だけだから何をしても構わない

と思うので、そのようなことができるわけですから

 

人にどう思われようと 全く気にしなくなれると

ストレスがすごく減ります

 

 

 

どうせ世の中の2割の人には嫌われるのだから、

ジタバタしてもしょうがないのです

口で言うのは簡単ですが

実際、すぐそばにいる人らに毎日嫌がらせを受けて

気にしないというのも難しいですね

 

おすすめの本

「気にしない」練習 ~気持ちを切り替える感情コントロール術~臨済宗円覚寺派人間禅居士 仏光 

 

 

 

自分を嫌いな人からは離れるのが一番ですが

 

イジメがさらにひどくなって

職場などで仕事に必要な情報を教えてくれなかったり、

してもいない悪事を捏造されて上司に報告されたり、

そもそも上に立つ人間にセクハラやパワハラされるなどの場合

1人ではどうしようない時があります

 

その時は、録音する、など証拠を取り、上司や労働基準局などに訴えましょう

 

それがどうしてもできないようでしたら、

転校、転職することも考えた方がいいです

 

 

自分が自営業を始めたのも、

このようなイジメや嫉妬深い人があまりにも多すぎてウンザリしたからです

 

個人事業者は、苦労もあり孤独ですが、

自分一人でなんでも決められてとても楽しいです

 

実際、仕事の依頼で、クライアントとヒアリングの段階で、

そのような要素のある人は、わかります

その場合、依頼は受けずに、お断りします

 

まあそのような人は、必ずトラブルからです

 

そして、ネットの口コミなどで

してもいないような悪いことを書いたりします

 

 

人生100年の時代になり

70歳すぎても働かないといけない時代に突入する日も近いです

 

仕事のストレスは、ほとんどが人間関係です

いかにそれと上手につきあっていくかが、幸せの鍵ですね

 

もっとも、魂のレベルが上がり、人格がすっかり出来上がってしまえば、人のことなど一切気にならないくなるそうです

私も、まだまだ修行が必要です・・・

 

お客様は神様じゃない!

海外から戻ったときに

成田空港を出て エスカレータ乗り場付近で

いつも見かける女性

「いらっしゃいませ」

を繰り返し

ペコペコ何度もお辞儀をする

 

 

同じ女性かどうか覚えていませんが

数年前から、いつも遭遇するので

きっとこれが 彼女の仕事なのですね

 

作り笑いと ロボットのように 同じ角度に 何度も お辞儀しながら

同じ言葉を繰り返す

 

 

アルゼンチンで、

日本人の物まねとして

この、ペコペコお辞儀を

バカにするようにする人がいて、嫌な気分になります

 

しかし、

外国人からすると

日本人は、こういうイメージなんですね

 

 

「お客様は神様」

は 未だ、日本で強く根付いていて

サービス業のストレスは半端ないと聞きます

 

私自身も、以前、飲食業、ホテルなどで アルバイトした時

心無い人に遭遇し

イチャモンをつけられたり

ありえない汚い言葉で罵られたり

「自分は元●●会社の社長だったんだ」

(他のお客様と同じ金額でVIP扱いしろ)

と、聞いてもいない、

元の自分の肩書(現在の)を示してくる人もいました

有名大学の教授とかもいました

このような人に指導される日本の子供たち・・・気の毒です

 

 

人は、地位や肩書があっても、人間として素敵な人とは限らないな・・・

と考えさせられます

 

 

 

飲食店やサービス業などでも、

雇われの身では

このような クレーマーモンスターのような客も、

「金はいらないから帰れ!」

などと言えないので、

マニュアル通り、平謝りさせられるのですよね・・・

 

 

断る権限のある上司が

このようなクレーマーから 部下を守らなければいけないところですが

その上司も頼りなかったり

 

 

 

南米や欧州では

サービスする側 = 客

の関係で

下手すると

サービスする側 > 客

という具合なので

最初はとても驚きました

 

 

お釣りがないから帰ってくれ

閉店5分前だけど、

もう閉めちゃったから帰ってくれ

 

日本人からしたらびっくりです

 

 

 

つっけんどんだろうと

仕事中に携帯触ってて待たされようと

ノロノロしてようと

それが欲しい客は

じっと耐えるのです

 

郷に入っては郷に従い

それに慣れてみると

だんだん待つことにも苦にならなくなってくるものです

 

待たされる理由は

あまりいいとは思えないけど、

サービスする側(仕事する側)にストレスがなくていいなあ

と思います

 

他にも店はたくさんあるので、

いやなら、他の店に行けばいいのです

 

もちろん、とても感じのよい

お店もあります

 

ただ、必要以上に笑顔を振りまかなくても

サービスしなくても

代価をいただく価値があるものを

提供する側と

それが欲しい客

それだけで商売は成り立つし、

どちらかが上とか下したとか

そんな扱いをしてくてもいいのですよね

 

 

 

日本の おもてなし や 笑顔のサービスなどは良いのですが、

それにつけこむクレーマーや

必要以上のサービスを要求する客には、

「あなたに売るものはありません。二度と来ないでください」

とキッパリ言ってしまうのはいかがでしょうか!

スッキリしますよ!

 

客も選ぶ時代です

 

雇われの立場でも

お客(クライアント)にひどいことをされたら

証拠を残す

見ていた人に証言してもらうなど

勇気を持って

クレーマーを許さず

泣き寝入りしないでほしいです

 

お客様は神様ではありません

その場は我慢して謝って

こんなひどい目にあった、

と、ネットで言い合って 慰めあったところで

何も解決しないし

我慢の日本文化で、自分の首を絞めないでください

 

 

皆が声を上げなければ

日本のストレス社会は変わりません!

 

人の外見を気にするのやめませんか!

海外に長くいて感じること

 

欧南米の人たちは

人の外見について何か悪口を言っているのを

あまり聞いたことがありません

 

 

 

もちろん、人それぞれ、好みがあり

痩せている人が好き

ぽっちゃりした人が好き

青い目が好き etc

 

しかし、基本的に 自分が大好きなので

人に興味がないと言うこともありますが

 

自分の好みではないからといって

人を批判する事はあまり聞いたことがありません

 

日本に戻って

テレビのお笑い芸人をはじめ

一般の人たちまでも

「ブス」、

「太り過ぎ」

「足が太い」

「肌が汚い」

「髪型が不潔そう」

「老けた」etc

人を酷評している場面に かなり出くわします

 

陰口なら 本人の耳に入ることも

ないでしょうが

テレビやインターネットなどで

悪口を言われた方達は

それを見て

どんなに傷ついているでしょう・・・

 

 

日本人が感じるストレスの一つとして

「人の目が気になる」

ということが ありますね

 

 

学校や職場などのいじめも

外見の悪口が多いし

 

 

自分も小さい頃に

食が細く 痩せていたので

「ガイコツ」

いつも日焼けしていて色が黒かったので

「くろんぼ」

といじめられ、傷つき

暗い子供でした

 

なぜ日本人は、人の外見がそんなに気になるのでしょう

 

 

なぜ 人の悪口を言うのがそんなに好きなんでしょう

 

他人に興味を持ちすぎていませんか?

 

 

 

痩せている、太っている、と言うのは

誰と比べているのでしょうか

 

人にどう思われるかと言う事をいつも気にしていて

それがストレスになっている

または、ストレスを人に与えていることに気づきましょう

 

 

人が太っているのは痩せていようが

どんな顔していようが

どうでもいいではないですか

 

 

 

ぽっちゃりした人を大好きな人だってたくさんいますよ

 

人が年齢を重ねるのは、どうしようもないことです

 

中高年の男性で 同じ年代の女性を

「汚いおばさん」扱い

ものすごくよく見かける光景です

 

何歳を超えた女性は

もう価値がないとか

賞味期限切れとか

 

 

言われた本人はとっても傷つくし、

同じ女性として、悲しくなります

 

 

テレビに出ている有名人も

社会的に地位があったり、実業家として成功してたり、

教育する側の人間でも、

このような人をたくさん見かけます

 

 

日本のマスコミのレベルが低いといわれるのも

無理はありません

 

 

しかし、職場などでこのような発言をされた女性たちは

反論すべきだと思います

我慢して、何も言わないから、

いつまでたっても、日本の男尊女卑の社会は変わりません

 

まあ、男性だけでなく、

女性も、陰ではおじさんを、汚い、臭いとか言ってますが

 

 

「女性は若くないと価値がない」

などと言ってる男は、所詮、女性を「物」としか考えていない魂レベルの低い人間です

若くてきれいな女性を連れていて、人にうらやましがられることを

「ステータス」と思っているタイプです

 

女性も、このような人に、好かれても、

「若さ」という価値がなくなったら、

ポイっと捨てられます

女性の方も、自分の外見だけに寄ってきているのか、

よく見極めるべきです

 

相手が金持ちなら、

お金につられて、このような人と付き合う若い女性もいるのでしょうが

まあ、、その場合は、同じく魂のレベルが低い同士なので、

ちょうどいいのかもしれません

 

 

 

 

人の外見について

悪口をいっているあなた

 

 

あなたの好みではないかもしれませんが、

その人のご主人(奥さん)は、

素敵な女性(男性)と 思っているかもしれません

 

 

人の好みというのは、

実に多様です

 

 

自分の好み、価値観を、

人におしつけるのは

もういかげん やめましょう

 

実際、心の中でどう思っても、

それを自分が人に言われて

気分が悪くなるようなことは

口に出していう、(インターネット上などに書いたりする)べきではないと思います

 

 

私は、世の中に本当の不細工な人間はいないと思っています

誰でも、それなりにちゃんとチャームポイントがあり

その人を生かす、ファッション 髪型などが

必ずあると思います

 

特に、心のきれいな人は

特に顔立ちなどが整っていなくても

オーラが外見に表れ

実に素敵な人です

 

 

誰かに陰口悪口など言われても

どうか落ち込んだりしないでください

 

 

人を酷評している人こそが、ほんとにブスな人です

 

どんなにブランドものに身を固めていても、

目鼻立ちが整っていても、

地位や名誉があっても、

そのレベルの低い人の性格の悪さ、

人相に出ます

人の悪口を言えば言うほど、自分自身が汚らしい顔になっていくということです

 

 

 

健康診断、人間ドックは必要ですか?

健康にボケずに長生きして

介護などで、家族に迷惑をかけずに

ポックリ死にたい、、というのは

誰しも思うことですね

 

日本は、寿命は世界一長い、

しかし、その反面、

日本人は「寝たきり期間」が とっても長いのをご存じですか?

 

 

2019年

高齢者の寝たきり平均年数

男性9.2年 女性12.7年

 

 

高齢者の医療費免除も手伝ってか、

病院は、常に高齢者でいっぱい

 

 

じっさい、年齢を重ねれば

多少の体の故障があるのは

当たり前のことかもしれません

 

 

検査をすれば

何かしらの異常は見つかる可能性は高いでしょう

 

 

しかし、

会社や自治体で

ほとんど、”義務”のようになっている

健康診断や人間ドックによって、

病気を見つけられ、

 

 

たくさんの薬を処方され

その副作用によって

身体を害している

という事実を

指摘している研究者がいるのを

ご存知でしょうか

 

 

それらの副作用によって

高齢者の寝たきりを助長しているかもしれません

 



 

私は、かれこれ、8年以上医者にかかっていません

たまに、偏頭痛、風邪などをひくことはありますが

薬などは飲まずに、

レイキとアロマテラピーで自然治癒するのを待ちます

 

 

健康診断も、9年ほど受けていませんが

とても健康です

 

 

以前、胃の調子が悪かった時

医者に胃カメラを飲むことをすすめられましたが、

検査に違和感があり

拒否してしばらく安静にしたところ

胃の不快感は、消えましたし、

腸の調子が悪かった時に

バリウム検査を受けて、

その後

ひどい胃腸の不快感に悩まされました

 

 

小学校のときにした血液検査で

ひどく気持ちが悪くなり

体調が悪くなったという

トラウマも関係しているのかもしれませんが

健康診断、

特に、血液検査が 苦手です

 

 

以前、会社勤めの時に

抗生物質、精神安定剤などの薬で

吹き出物、口内炎がたくさんできたり、

だるくて眠かったり

ふらついたり

胃痛や便秘などになって

薬への不信感もあります

 

 

幸運なことに

いままで、大きな病気をしたこともないし、

いままでの身体の不調は

ストレスによるものだったと

認識しています



 

最近の研究で、

人間の脳は

ストレスを

痛みとして

身体に出すことが知られています

胃や腸は、とてもストレスに敏感なので

少々調子が悪くても

ストレスがなくなれば、

すっきり元通りになる可能性は高いです

 

偏頭痛なども、

脳がストレスを痛みに変えている例のひとつ

 

 

近年の医学の進歩は素晴らしいと思いますが

人間の本来のもっている

自然治癒力も

捨てたものではありません

 

 

化学物質によって

自然治癒力にダメージを与えるリスクを考えてみてください

 

 

 

検査を受ける受けないは、

本人の自由意思ですが、

私は

なるだけ

検査などはせずに、

 

身体に良いものを食べ、

適度な運動をして、

ストレスをためないように心がけ、

それでも病気になったときには

それが 神様の決めた寿命なのだとあきらめ、

ポックリ逝きたいと思っています

 

検査を受けなくとも、問題なく長生きする人たちのフシギ

長生きしたければ、絶対に健康診断と人間ドックには行くな「診断結果は、全部クスリを売るための大嘘」 

チューブにつながれて

痛い辛い思いをし

人に迷惑をかけて

病院のベットの上で最期を迎えるのは

本望ではありません



 

部屋着、普段着を断捨離して いつもキレイでいよう

普段 家でくつろぐ時に着ている服、

急なお客さんが来たとき、

困るようなひどい恰好だったりしませんか?

 



 

家族の前では

寝起きのボサボサ頭、

楽なんだから、少しぐらいだらしなくたって

別にいいじゃない。。

と思いますよね、、

 

でも、

昔はきれい(かっこよかった)のに、、と

旦那さん(奥さん)は、

ちょっとガッカリしているかもしれません

 

 

私の住む南米は

DNAに恵まれた

美しい人がたくさんいます

 

特に若い人たちは

何を着ても様になる

 

美しい容姿に若さがあれば

どんな普段着だって、キレイなんだ、、

と思っていたのですが、、

 

 

ある日、びっくりな発見がありました

 

 

友達の家で紹介された、20代前半の女の子

20代ですから、お肌もピカピカで もちろんきれいです

無駄な贅肉など

これっぽっちもありません

 

しかし、格好は

普通のタンクトップにジーンズでした

 

まあ、もちろん若いんだし キレイ系なのですが

あまり目立つ感じの子ではなかったのです

 

 

ところが、

後日、

ある場所で見かけた

その女の子は

きれいなドレスに、お化粧をして

別人のような

圧倒的な美しさだったのでした

 



 

以前住んでいた家の、

ルームメートの学生

いつも、ヨレヨレのTシャツ短パンに

ビーサン

 

まあ、身長180センチ、

そこそこ容姿のいい男子でしたが

 

ある日、オシャレをして出かけるのを見て

おおっ、、リッキーマーティン??

かっこよかったんだ、、この人!

とびっくりしたこともあります

 

 

 

むむっ、、

今まで思っていた

「若くて元のいい子は、おしゃれしなくてもキレイ」

という考えが 少し変わりました

 

 

本当に何のオシャレもしなくて

ものすごくよく見える人は

いくら若くても

実は限られていて

そんな人は

ものすごいオーラのある人だけなのかも、、と

 

 

一般人は

たとえ、若くて、顔の作りがよかったり

スタイルがよかったりしても、

(まあ、もちろん、若さは十分美しいのですが)

 

やっぱりおしゃれは大事なんだなーーと

 

 

そこで、

あまり若くもない 年相応の体型もだらしなくなってきた人が

だらしない恰好でいたら

どんなものか、、

 

想像はつきます・・・

 

 

*家でくつろぐ、部屋着、普段着

*仕事に出る、通りに出て 人に会っても恥ずかしくない服

*よそ行き着(フォーマル)

という感じで、着分けしている人がほとんどで

人前に出ても恥ずかしくない服ですら

普段つくろぐ普段着にしたら もったいない、、

というのが普通の感覚かもしれません

 

 

でも、服が多すぎて 収納しきれない

 

増えすぎたと感じている方

 

片付かない部屋にストレスを感じますよね

 

断捨離したいのに、どうしても捨てられないという人たちは

 

自分の気分が上がらない

”普段着” ”部屋着”を 断捨離したらいかがでしょうか

 

身体的には楽かもしれませんが、

その服で鏡に映った自分を見て 気分は上がりますか?

 

 

私は、海外に住むために

スーツケースに入りきらなかったために

必然的に

”お気に入りの服”だけを持ってきたので、

普段着とよそ行きの服の区別がなくなりました

 

急なお客さんが来た時に

恥ずかしいという 思いをすることがなくなりました

 

実際、南米の人は

予告なしに

遊びに来ることが多いので

これはいいことだと思います

 

事実、自己のイメージというのは潜在意識に刻まれてしまいます

いつもきれいな私、というセルフイメージは

自分の自信にもつながり

気分が上がります

 

常にお気に入りの服に包まれた

自分は、

とっても気持ちいいですよ!

 

 

最初は、スーツケース1つだった洋服も、

5年間で、いつの間にか増えてしまいました

 

 

特に、女子は

油断すると

すぐに 服が増えてしまいますね・・・

 

 

 

自分も、もちろん理想はミニマリストですが、

 

ネット上で

写真入りで持ち物などを公開している

ミニマリストを見ると

 

男性は、そこそこの質のいいものであれば

かなり少数の服でも、

素敵でいられると思いますが、

 

やはり女子は、

本来おしゃれが好きな生き物なので、

ある程度の数の

服や装飾品は

必要かもしれません

 

 

 

何を着ようかと迷ったり、

コーディネートを楽しんだりして

おしゃれするのは

ウキウキしますもの (^^♪

これが ストレス発散だったりもします

 

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