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仏教

シンプルライフで人生が楽になるわけ

なぜ、家を片付けて、シンプルに暮らすと

人生が変わるのでしょうか

 

 

ほとんどの人は、

あっても使わないもの、

不要の物を家に溜め込んでいます

 

本当はなくてもいいものなのに、

「高価だった」、「贈り物だから」、「また使うかもしれないから」「思い出があるから」

様々な理由をつけて

もう何年もクローゼットに眠っていた物でも

忘れていたものでも

捨てることができません

 

これは、「執着」があるためです

 

しかし、これは、じつは、非常に苦しい生き方です

 

我々は、まだ使えるものを捨てるなんて

もったいない

の「常識」で生きてきましたので、

これは、当然のことです

 

 

しかし、インターネットの出現で、

有名人、著名人以外の、

一般人の、考え、常識や、価値観を

簡単に知ることができるようになりました

 

常識と思われていたことも、今や常識でなくなってきた今日、

価値観も、ひとそれぞれ、

ここで、ご紹介している動画も、

すべての人に、共感していただけないことは、

百も承知ですが、、

自分の経験、そして、片付けコンサルタントとして仕事をしてきて、

実際に、片付けをして人生が変わった経験談から、

なぜ、シンプルライフのためのお片付けによって

ストレスレスになり幸せになれるかについて

説明していきたいと思います

 

 

すべての不要な物を、いろいろな思いをたち切って手放すことで

物への執着だけでなく、

人間関係や、所有欲、食欲、お金への欲などの執着、

 

それらを得るため、

または守るために

躍起になっていた自分を見つめなおし、

片付けを通して、

それらが、いかに自分にとって

不要であったか、

ストレスだったかに気付くきっかけになるのです

 

実は、

人生ってシンプルです

 

それほど、生活に必要な物ってないのです。

実際、家に所有しているものの、半分も使っていないのです。

いつか使うもののために、場所を占領され、

そのために高い家賃を払い、

物が多すぎるために、常に収まり切れないものが散乱する、

 

人間は、平均、一年に150時間以上も

探し物に時間を費やしていると言われています、

片付けをしてシンプルく暮らせば、

物を探すことは、なくなります

今後の人生、どれだけ時間の節約になるでしょうか

あるはずのものが見つからない、ストレスからも解放されます

 

みな、バケーションに、リゾート地の広々とした高級ホテルで過ごしたいでしょう?

なぜ、自分の家を、ホテルのような快適空間にしないのですか?

シンプルライフのためのお片付けをすれば、

これは、全く可能なことです

 

不要な物を処分し、物を減らすだけです

 

消耗品などを買い込んでしまう、

心配性な人、多いですね。

 

消耗品を何十円か、安く買っても、それを置く場所の確保に苦労して、

高い家賃を払い狭く暮らす必要がありますか?

 

消耗品をため込むリスクについては、

他の記事に詳しく書いています

 

 

私は、海外生活が長いので、

スーツケース一つで過ごすというチャレンジで

物は少なければ少ないほど

快適に暮らせるという体験から、

ミニマリストのすばらしさを知りました

 

 

人間はみんな平等に、

年を取って必ず死にます

 

今若くても、

寿命まで生きられればいいですが、

事故や病、

人生いつ終わるのか、

運命は、誰にもわかりません

 

誰でも必ず死ぬ

 

これだけは、普遍の確実な真実です

 

 

どんなにたくさんの財宝があっても

何も持っていけません

 

片付けを通して、

家や物、身体、人間関係、家族、

知識欲、地位や名声を得るなど、

 

すべての執着が

いかにムダであることに気付く、

それが、片付けの本当の目的です

 

死んだら終わり、すべておいていかなければいけなのです

 

 

お金に余裕があれば、高価なものを買うのもよいかもしれませんが、

それらを得るため

いろいろなものを犠牲にして、

必死になって得たところで

じつは、「ある」も「ない」も

それぞれ、悩みや苦しさがあるのです

 

高価な時計をやっと買って嬉しいでしょう

しかし、高価なものは、メンテナンスも高い、

無くさないか心配、

泥棒に合わないか、

悩みもつきません

人間の欲にはきりがありません

 

もっと高価な物、もっと広い家が欲しい、

もっと若く、きれいになりたい、

もっと美味しいものが食べたい、

有名になりたい、美人と付き合いたい、

もっと出世して、尊敬されたい・・・

 

 

ますますエスカレートしていきます

 

 

欲を満足させるために

お金を得るため人をだますような商売をしたり、

嫌な人と付き合わなきゃいけなかったりと

自分を苦しめるのです

 

 

でも、どんなに頑張っても

 

人間は平等に年を取って

病気になったり

老衰して死ぬのです

 

 

 

ほどほどで満足すること

 

これが、、人生を楽に生きる鍵です

 

ミニマリストは、必要最低限で暮らしていますが

それで決して不自由していません

不要な物が一切ないので、満足度は高いし、

執着も少ないので、守るためのストレスもありません

 

大量にプチプラなど流行りの安物を買い漁り、飽きたらすぐ捨てる

これは、あまりにもエゴイストは生き方です

 

これらを生産する発展途上国の劣悪な労働問題、環境汚染

だけでなく、

すべては、

量より質です

 

ここでも、欲を出し、いいものを求めすぎるときりがありませんが、

そこそこの良品を長く使う、

これが賢く、地球にもやさしいです

 

量より質は、物に限ったことであ貼りません

人間関係もしかり、

オプションが多いと、人間はストレスが増えます

 

多くを望まなければ

高収入がなくても

せかせか必死に朝から晩まで働かなくても

それなりにこぎれいにして、そこそこ美味しいものを食べて暮らしていけます

 

 

これがないと、困る、ってもの、意外とないです

ほぼ、すべてのものは、

代わりがいくらでもあります

 

あの人を失ったら死んじゃう、、、?

 

絶対、死にません、、

時間が癒してくれます

 

 

何事にも執着しないシンプルな暮らし

これがストレスレスの最高の薬です

家を片付けることで、

人生でなにが一番大切かに気付いてください!

 

 

毒親のトリセツ③

新聞や、インターネットの相談コーナー

毒親の悩みは尽きないですね

 

紀元前500年前後

何千年もの間

今も語り継がれる世界三大賢人

ソクラテス

孔子

釈迦

 

“自分の過去世で、自分が親のようなエゴイストな親だった

その悪業によって

今世その罪を償うため、

またはその悪業を身をもって知るために、

そのような人の子供になることを決めて生まれてきた

可能性が高い”

 

とおっしゃったのは、お釈迦様です

 

 

なんと、毒親を持つ運命は自分のせいだったとは

かなりショックですね

 

 

輪廻転生を信じるかどうかは人それぞれですが、

世の中不公平と思われることも、

過去の業によって決まるとしたら、

実は公平であると言うことがしっくりきますね

 

 

毒親のトリセツ

 

過去の自分の悪行の償いをさせてもらっていると知り

ひたすら忍耐する

それが理想ですが、なかなか難しいですね

 

 

今世、こんな毒親でも、親孝行できたら、

自分の善行を積めるそうです

 

私たちは、子育てについて、何も教えてもらっていません

ある日、突然親になることになり、

否応なく、子供が生まれてきて

子育てをしなくてはいけない。。。

いわば、ぶっつけ本番、

手探り状態です

 

大概親になる年齢は、若い時です

 

年を重ねるとわかりますが、

ああ、若い時は本当にバカだった。。。と

そんな世の中のこともよくわかないうちに

親にならなければいけない、

仕事も家事もしなければいけない、

大変な時期に子育てをすることになります

 

 

親も若くて未熟でバカだったのでしかたがない

そんなアホな親が、

よく学校に行かせてくれた

食べさせてくれた

と、恨み言は忘れましょう

 

親のトリセツ②でもお話ししましたが、

この毒親は、自分の前世で、自分がいじめぬいた子供だったかもしれない、、

と、憐みの心を持つ

 

いつまでも親のせいにして

ネガティブでいても

何もいいことはありません

 

 

成人したら、失敗は、自分の責任で

毒親のせいではありません

 

 

いつまでも

怒りを心に持って

親が悪いから、自分はうまくいかないなどと

人のせいにしても、幸せにはなれません

 

 

親も、年を重ね、以前よりも人間ができてくるといいですが、

変わらず、困った人である場合、

やはり、距離を置くしかありません

 

生んでもらった縁は忘れずに、

本当に困ったときには、助け船を出しましょう

 

親子の関係は、

親離れも、子離れもありません

 

 

本来は、協力し合って、生涯付き合っていくものです

 

親が年を取って身体が動かなくなったら、

子供の助けも必要でしょう

 

人生では、お金に困ることもあるでしょう

どちらかが多少余裕があるのなら、助け合えばいいでしょう

 

世の中、いい親を持てた方が、

奇跡と言えるかもしれません

 

現在、仲の悪い親子でも、

お互いが、人格者になっていけば、

歩み寄れる可能性もあります

 

 

毒親のトリセツ②

毒親と言っても

いろんなタイプがいます

 

 

しかし、ほぼ全員に当てはまるのではないかということが

毒親=自己中、(エゴの塊)

ということです

 

 

自分を棚に上げて、

子供を、わがままとか、自己中だとかいうのが特徴です

 

しかし、人間は、みんな、

基本生まれた時から

エゴイストです

 

自己中をおさえ、

人を思いやれる人間になることが

人格者になることですので、

そうそう、そのような人が世の中にいません

 

ほとんどの人が毒親になる可能性があります

 

また、毒親と思われる人たちは

実は、今流行りの、

発達障害

かもしれません

 

人を思いやる

とか

人の気持ちを読む

などの能力が

人よりも劣っている

 

 

 

前回、毒親との家族愛の修復は

残念ながら

あきらめるしかないと書きましたが

 

過去にどんなにひどいことをされたとしても、

親子のつながりを完全に絶つことは

なかなかできません

 

 

これらの人たちは

コミュニケーション力が極端に低いので

話せばケンカになる、

わかり合えるまで

話し合うというのも難しいですね

 

 

一つ忘れてはいけない大事なこと

 

そんなとんでもない毒親でも

我々は、生んでもらった

があるということです

 

 

今の仕事で食べていけるのも、

職業につけるための基礎となる

習い事や、大学に行かせてもらった恩もあるでしょう

 

育児放棄されたり、

虐待で施設にいたとかいうひどいケースでもなければ、

こんなひどい親なのに、

よく子育てを放棄せず

育てたもんだ!

と、感謝しなければいけないのですね・・・

 

 

母親のお腹の中で10月過ごし、

つわりやら、大きなお腹で不自由な思いをし、

人生でも1,2、を争う

本当に辛い出産を経て、生まれてきたのですから

母親には特に大変な恩があります

 

 

そこで、どんなにひどい仕打ちを受けても、

この恩だけは忘れずにいないと

自分が大変悪い業を負ってしまう可能性があるそうです

 

 

毒親のトリセツに

一つ、良いおまじないがあります

 

毒親と、やりあってしまったり

ああ、、、もう信じられない、、

二度と顔も見たくない、、という出来事があった

辛い過去を思い出してしまった

その時に、

 

慈悲の瞑想

をしてみてください

 

「私の近しい人たちが、

幸せでありますように・・・」と

何度も何度も唱えます

 

 

近しい人とも思えないよ!

ってぐらいムカついてるときには

 

「生きとし生けるものが

幸せでありますように・・・」

 

と繰り返し念じてみてください

 

少しずつ怒りが収まってきます

 

 

慈悲の瞑想については、

テーラワーダ仏教協会のHP内に、

詳しく書いてありますので、

どうぞご覧になってみてください

 

 

毒親に怒っても、

自分が疲れるだけ

とわかっていても、ついムっとしてしまうことばかりですね・・・

 

でも、今世で一番恩のある親に対して怒るのは、

それが、どんなに正しいと思われる理由でも、

やはり、自分の悪業になってしまい

自分の心が汚れてしまうので

ものすごく損なのです!!!

 

 

慈悲の瞑想を唱えていると、

少しずつ、気持ちが落ち着いてきます

 

今世、親子に生まれた縁は、

前世でも何かしらつながっていた可能性があるそうです

また来世で、会う人なのかもしれません

 

毒親のトリセツ①

家族愛をテーマにしたドラマや映画、

小説、、、

お涙頂戴風な

家族っていいね的なドラマ

 

子供のころから気持ち悪くて大っ嫌いでした

 

今も、その手のものは、

辛気臭くて見る気になれません

 

なぜなんだろう、、、と考えてみたのですが、

やはり「毒親」の影響がおおきかったのでは。。

と思います

 

 

世の中、毒親に悩む人がなんと多いことか!

 

しかし、恐いのは、

毒親に泣かされたにもかかわらず、

気づかないうちに、

自分も毒親になっていた!!!

という人が多いという事実です

 

親に愛されなかった子は

子供の愛し方を知らないのかもしれません

 

 

片付けのお仕事をしていると、

家族のドラマを、

見たくなくても見てしまうことが多々あります

 

 

 

毒親のトリセツは

一言で言ってしまうと

 

「離れる」

 

これしかありません

 

悪化すると、親子間で殺人までになってしまうほど、

家族間の諍いは恐ろしいです

 

 

自分も毒親を持った経験から言えることですが

親と子といえども、

まったく違う魂、他人のようなものです

 

どれだけ長く付き合っても

相手のことを理解できる日は来ません

 

血のつながりのある親子でも

宇宙人か!と思うほどです

 

親の愛情とか感じたこともなければ

完全なる、所有欲のみ

 

大きくなってきて

自分の思い通りにならない

自慢の息子、娘にならない

そうなると

一気に見放します

 

 

自分も、

子供のころから

「本当は、もらい子(養子)なのではないか・・・」

と疑っていました(笑

 

しかし、毒親については

良い処方箋もあまりありません

 

「あきらめる」

のが一番です

 

家族の関係を修復したい方にはお気の毒ですが

泣かせる家族愛ドラマみたいな関係になることは

不可能なのですね・・・

 

しかし

家族愛が強すぎるのも、

実は怖いのです

完全に「執着」「渇愛」の関係ですから・・・

 

毒親のトリセツについては

とても長くなるので、

また今後少しづつ書いていこうと思います

 

 

「怒り」は自分を破壊する

インターネットの普及により

SNSなどで、

簡単に人が意見を

公共の場で言えるようになりました

 

昔から、

有名人、政治家などは

何かとやり玉に挙げられる存在ではありましたが

 

一般人までも

知らない人から

ブログやFacebookなど

SNSを通して

中傷の対象になってきています

 

 

なんと、暇な人、

人のことに興味のある人が多いことか

驚かされますね

 

しかし、それらが本当に身に覚えのないひどい悪口でも、

それに怒りをおぼえて

仕返しなど、

怒りのエネルギーを出してしまったら

向こうの思うつぼになってしまうです

 

 

知識のある人

まともな人ならば

人を公共の場で中傷する

「その人」こそが

最低の人間とわかります

 

 

しかし、実際に攻撃された方は

気になってしまうものですね

 

 

SNSで中傷されて非難されて

怒りのあまり

起訴して疲れ切ってしまっている人

 

最悪のシナリオは

それらの加速した

もはや「イジメ」によって

自殺してしまう人もいます

 

愚かな者のために

被害者がバカを見るわけです

 

 

病気は怒りと連動しています

怒りのエネルギーが

自分の細胞を破壊して

身体を病んでしまうのです

 

自殺は精神病です

 

例えば、

夫(妻)の不倫が発覚して

怒りにより心を病んでしまい、

ガンなどの大病になってしまうことは

よくあることです

 

悪いことをした当事者は、

ほおっておいても、

今世、または来世で

とんでもないツケを払うことになります

 

こちらが何か手を下さなくても

やられっぱなしということはありません

 

 

怒ると、自分が損してしまいます

 

完璧な人間など存在しません

誰でも、たたけば、いくらでもホコリが出ます

人のあら捜しをする「怒り」の感情を持っている人は

大変不幸になります

相手に大変なストレスを与えるだけでなく

そのうち、その人を攻撃する毒の作用により、

心の病気が悪化して、

身体も重病になってしまうでしょう

 

 

人間社会、

ムカっとくるような出来事は

日常茶飯事です

 

怒りを制御するのは、

並大抵のことではありませんが

怒りをほおっておくと、大変なことになってしまいます

 

人類の歴史を見ても、

怒りによって、国同士の戦争まで引き起こしてきました

 

 

人の価値観は、誰も同じではありません

自分が正しいと、みんなそれぞれ思っているのですから

どれだけ討論しても、平行線です

 

悪口や中傷はしない

されても、相手ににしない

 

難しいことですが

自分も、わかっていながら

ついつい怒ってしまうことが多々あります

 

不当なことをされて

言い返さないことが

「負け」

ではありません

 

自分の幸福のために

怒りを制御するのです

 

こちらのブッダの初期の教え

上座仏教 テーラワーダ仏教協会の

長老の説法、

怒りが人間にもたらす不幸

とてもわかりやすいですので、

ご覧になってみてください

怒りを捨て安らぎを

 

性的虐待や性犯罪がなくならないわけ

新聞、インターネットなどのニュースを見ると、

毎日のように見かける

性的虐待 や 性犯罪のニュース

 

被害者は、女性だけでなく、小さな子供、乳幼児までが犠牲になっています

 

性倒錯者、精神異常者は犯罪の発覚を恐れて殺人までします

なぜ、このような悲惨な犯罪が昔も今もなくならないのでしょうか

 

2500年前のお釈迦様の教えでは

このように言っています

 

俗世間では「性欲」は自然な本能として正当化されていますが、

仏教ではそうではありません。

以下、上座仏教テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老による法話より引用します

美しく燃える欲の炎 性欲は危険と苦しみにかぶる目隠し

 

俗世間では、性欲はとても自然的な本能として、正当化している感情なのです。

しかし

性欲が社会に与えているトラブルは、想像を絶するものです。

精神病の大半は、歪んだ性欲が生んだものです。

社会で起こる犯罪の、大半の原因は

”性欲”

なのです

 

幼児虐待、誘拐、殺人、放火などが、毎日のように起こります。

性欲のせいで、非難されて政治の世界から閉め出される政治家もいますし、

会社を倒産させる人々もいます。

不倫、夜の街での遊びやらで

家庭を崩壊に追い込む人々の数は膨大です

 

諜報活動にも性欲が大事な役割を果たしています

治療不可能のHIV感染は、世界的な問題となっています

 

貧しい国々の子供たちに売春を強いるので、

彼らが人権どころか生きる権利まで奪われているのは、

性欲のせいなのです。

 

人間社会にいくら不幸を与えても、俗世間は性欲を正当化する。

 

性欲は、自然な本能だと思う。

 

必要不可欠なものだと思う。

 

しかし、この考えは単なる主観的な感情であり、

 

客観的な事実ではありません。

 

「子孫を残す」ということに人間も他の生命も必死なのです。
それは客観的な事実です。

しかし、子孫を作ることでその生命が得るものは、何かあるのでしょうか?

食欲も欲ですが、それは満たせないと命を失います。
ですから、必然的に満たさなくてはならない欲なのです。

しかし、性欲を満たせないからといって、命を落とすことは決してあり得ないのです。

それなのに、なぜ性欲は断言的に正当化しているのでしょうか。

それは性欲が、生命の追う様々な

「好き」

の中で、かなり強烈なものだからです。

 

ですから皆、性欲が満たされることを期待するのです。

 

「子孫を残す」というのも、実は表向きの言い訳に過ぎません。

 

人間の間では、結婚にも異性との関係にも興味はないが、子供を欲しがる人もいます。

その人々は子孫を残したいという気持ちではなく、子育てが「好き」で、それを喜びたいのです。

 

現代社会では子供を作ることを完全に否定して、性欲だけ満たして生きていきたいと思う人々の数が多いのです。

性欲は決して生きることに欠かせない本能ではありません。

音楽を聴く、贅沢をするなどのように、もう一つの強烈な欲なのです。

性欲を満たすことで命が延びるというよりは、縮みます。
体力・精神力・財力を大量に費やすことになります

人は、性行為から得る快楽に強烈に執着します。

猛烈に依存するのです。

ですから、その快楽を得るために費やすエネルギーの量は全然気にしないのです。

日常生活の中で様々な問題が起こるとき、楽しみや充実感を得られないとき、人はその苦しみのはけ口として性的快楽に依存することもあります。

ブッダは、性欲は割に合わないほど不幸を招くもので、心の成長を妨げるもの、人を苦しみに徹底的に依存させるものであると説くのです。

個人は自分の幸福を目指して心の成長を目指し、様々なトラブルや苦難を避けるために性欲の依存をやめさせなくてはいけないのです。

自分の快楽のために他人の命を弄ぶことは人権侵害であって、慈しみの正反対です。

 

 

表は「好きと会い」、裏は「悩みと恐怖」世界が変わっても苦しみは消えない

 

世間は、人が「好き」になる対象の方を問題にしています。

たとえば、イスラム教では、男をみだりに誘惑するという理由で、
女性は夫以外の男性に手首と目元以外見せてはいけないことになっています。
結果として、女性は身体を完全に隠して生活しなければならないが、

女性の手足顔、髪の毛などを見ただけで性欲をむき出しにする男性の方は自由なのです。

タバコを吸いすぎて病気になったら、タバコ会社を訴えるのです。
例えばアメリカのフロリダ州のGrady Carterさんが、Brown & Williamsonタバコ会社を訴え、$750,000の損害賠償に勝訴しました(CNN June 29, 2001)。
麻薬の密輸入、売買、所持などを取り締まって、人々が麻薬に依存することを止めようとする。

このように、人が好きになる「対象」を目の仇にするのが、世間のやり方です。

仏陀のアプローチは違います。

何かを好きになるということは、その人の心の問題です。
その人個人の主観的な感情の問題です。
もし対象が原因だとするならば、すべての生命の心に、同じ結果が現れる筈です。
タバコを見たら誰でも吸いたくなるわけではありません。
麻薬を見ただけで人は誰でも服用しようとはしません。
ある人が美人だからといって、すべての男たちが欲望を抱く訳ではありません。
「好き」は明らかに主観的な問題です。直すべきなのは、個人の心であって世界ではありません。

仏教は一貫して心を向上させること、清らかにすることを勧めています。

何かを「好き」になるということは、その何かに依存することなのです。

それが心が弱い、汚れているという証拠なのです。

ですから、仏陀は二段階に分けて解決方法を説きます。

まず好きになる対象から身を引く。

次に、依存しなくても幸福でいられるように心を育てる。

 

 

法律で悪いものを禁止しても、人は直りません。身を引くことにもなりません。

ですから、自分で「好き」になる対象から身を引くのです。表面的には世間のやり方と似ているようですが、実際は違います。

「好き」は主観的な感情です

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世の中は実に性欲を煽る物があふれています
先進国では、お金のためにそれらを武器に商売にしている女性もたくさんいます
それを求める人がいる限り、それは、いつの時代も、お金を得るためのビジネスです

はびこる

女性蔑視、男尊女卑の根底には
女性を「性欲の対象物」としか見ない
ということです

 

 

性犯罪者たち悪業は大変なものです

今世で犯罪が発覚して罰を受けても、また、運よく誰にも知られなくても、それで終わるわけがありません

来世で報いを受けるその恐ろしさを知ったら、きっとこの世に犯罪者はいなくなるかもしれません

輪廻のことは大変複雑らしいですし、また死んだことのない(死んだ経験をできない)私たちには知る由もありませんが、

世の中はちゃんと平等にできているそうですので、

その大罪は決して消えることはないでしょう

私たちは、俗世間の常識のようになっている、

この「性欲の問題」を、

もっと真剣に考えなければいけないのではないでしょうか

 

表現の自由とか、欲を煽るものを、取り締まったところで、見たい人はどのようにしても見るのでしょうが、

子供の教育をする時点で、

性欲が、大変な危険を犯してしまう可能性があるということを教えるべきであり、

俗世間の常識ではなく、

子供たちの手本となる道徳のある大人が増えることを願っています

 

こちらに、欲をコントロールする良いアドバイスなどがあります
参考までにリンクです

http://bbs1.sekkaku.net/bbs/?id=theravada

他人の過ち、したことしなかったことを見ない

ブッダの言葉

ダンマパダ(Dhammapada 50)

 

他人の過ちや、したことしなかったことなど、観る必要はない。

自分を観るべきです。何をしているか、何をしていないのか、と。

 

 

人間は皆、「自分は正しい」と思っています

 

でも・・・

人の意見、価値観は 百人十色

誰一人として、

脳の中身が同じ人はいないのですね

 

 

そして人間は、

困ったことに、

他人のやることは目についてしょうがない

 

 

自分と違う、他人のやり方、意見、価値観を

認めることができません

 

 

そして、「正しいと思っている自分のやり方、意見、価値観」を

他人に押し付けてしまうのです

 

お互いが

「自分が正しい!」

と思っているのですから

結局ぶつかって、対立します

 

ブッダの教え

 

他人はほおっておく、自分だけを観る

 

すべての人が、この教えを実践したら

人間関係がすべてスムーズ

ケンカをする夫婦もいなくなりますね

 

実際、人間は皆、不完全であり

自分の意見でさえ、

本当は正しいのかもわからないのですから

 

他人のことは観ないから私のことも観ないでください

 

これでストレスはかなり軽減します

 

 

 

一般的に、宗教って怖いイメージですよね

 

私も普通の日本人に多い、

「無宗教家」

ですし

宗教家になろうとは思ったこともありません

 

 

上座仏教は宗教ではなく

人生を幸福生きるための

【教え】

だそうです

 

 

あまり評判のよくない新興宗教でも●●仏教などと言うそうなので、

素人には宗派の違いもよくわかりませんが

宗教団体ですし

一人で勉強するというわけにもいかなそうです

 

 

上座仏教の長老によると、日本のたくさんある仏教の宗派は、お釈迦様の初期の教えとは違うそうです

 

私は、心の病気を治したり、ストレスをなくすために

仏教の教えが役に立つと思いました

 

どれを勉強しようか悩んで、

スマナサーラ長老の お釈迦様の本来の教えである

上座仏教がしっくりきました

 

テーラワーダ仏教協会の

長老たちの法話を読んでみる価値は大いにあります!

日本テーラワーダ仏教協会 法話と解説

 

キレイの価値観も人それぞれ

人間のキレイの価値観

 

ある部屋をみて、

その家の人は

昨日掃除をしたと言っても、

 

「まあまあ片付いていてキレイ」

と思う人もいれば、

「服やら物が置きっぱなしで汚らしい」

「部屋のすみのホコリ」が気になる人や

匂いが嫌だと思う人も

 

Aさんのキレイの価値観

Bさんのキレイの価値観

Cさん、Dさん・・・

誰一人同じではないのが普通です

 

自分の家をきれいにしておきたいために、

家族や同居人に自分の価値観を押し付ける

潔癖症気味の人たち

 

他人の足や手は汚いので、

家に上がるときに足を拭いてほしいとか

手を洗ってくれとか

(今はコロナ感染予防もありますのでしかたないですが)

どこにも汚いところに上がってなくても

靴が汚いので、その足で上がられると汚いそうです

 

そういう自分は、同じスリッパを

全く洗わずにずっと履いています

十年来大切にしているブランドの靴も相当汚いはずです

お使いのスマホやらバック、どこかに置いたり、触ったりした後、

毎度毎度 消毒してなければ、きっとばい菌だらけですよ

 

フローリングの廊下は、

綺麗に拭き掃除もできますが、

何十年も使っている絨毯などどれだけ垢で汚れているか

 

家の中だって十分に汚いのに

 

とにかく、人のことは汚いのです

 

 

人間は不浄である

と お釈迦様は言っています

 

以下

テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のパティパダー巻頭法話より

悪魔に勝つために① 自分は美しい人間か 

身体は穢いものです。それは事実です。その証拠にあなたは毎日のように入浴をするでしょう。
一週間ほどからだも顔も洗わず、歯も磨かず、下着もそのままにしていたらどうなるでしょう。結果は想像できますね。人間はみなおいしいものを食べます。しかし、おいしいと思ったその食品も口に入った途端汚いものに変化していきます。ちなみに、自分の大好物な食べものをひと口噛んだあともう一度手のひらに戻しその大好物だった食品をよく観察してみてください。それからその一度噛んだ食品をもう一度口のなかに戻してみましょう。ちょっと常識ではできませんね。実際それをやらずとも想像するだけでも試してみる自信のある人などいないはずです。

咳、痰、膿、尿、便、汗、鼻くそ、耳垢をはじめ、胃や腸など内臓など自分のものでないかぎり他人を不快にするものばかり人間一人一人が所有しているのです。さらに言えば、口から入ったものは内臓を下に行けば行くほど不浄なものに変わってしまい最後は大便として排出されてしまいます。

人間の肉体はまさに不浄の塊、不浄の工場といった観があります。

ところで、不浄随観ふじょうずいかんは仏教の瞑想法のひとつです。からだが清浄なものとおもっている妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめます。高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていきます。

 

 

掃除の仕方にしても

人それぞれ、キレイの価値観は違うので

キレイになってない、気に入らないということになるのでしょうが

 

例えば、そういう人の場合

朝、水拭きしたキッチンの廊下

数人が使えば、半日でも床はうっすら汚れるのに、

昼過ぎに、こんなに汚いのに、どこを掃除したのだ

といったりするでしょう

 

そんなにピカピカにしなくても

あなたの足の方が汚いのですよ

足の裏からは汗をかき、

汚い絨毯を歩き回っているのですから

 

 

自分の場合

一日一回は必ずシャワーを浴びて

インナーは洗った服、短時間着用の場合や、汗をかかなかった場合は、スカートなどは2回着るときもあります。

 

靴の中はたまに洗うし、インソールを使ってを洗います

靴下は汚れたところを歩いた場合はすぐに家に入るときに脱ぎますが

今いる場所は絨毯なので、どうせ完全にきれいにできないので

あまり気にしません

掃除は週に3回ほど

他は気になった細かいところは、その都度掃除する

ミニマリスト的な生活が好きなので、

物が非常に少ないので、掃除も楽です

(いつも、私が死んだあとは、片付ける人楽でいいだろうなーって思います(笑))

 

それ以上やる必要もないし、十分清潔で汚れているとも思いません

やらない人を射たらきりがないですが、

これでもキレイ好きな部類にはいるのではないでしょうか

(これも、比べようがありませんね)

どうせこの瞬間も、身体は生きてる限り不浄になるのだから

気にしても苦になるだけ

人に迷惑をかける(そばによると臭いなどは、やはり害ですよね)ことは絶対ない程度にすればオッケーだと思います

 

潔癖症はある意味、精神病です

 

このように自分のからだが清浄だという思いこみがある人は

自分に対する妄想や苦しみ、悩みは増量される一方で

快楽に執着し異性に対する想念も倍加し肉体の快楽をいつも求めてしまう傾向があるそうです

このような人たちは、物にも執着するので、

高級品好きで、さらに所有物の数が多い

そして執着で捨てられないので、家はものだらけ

 

快楽というのは食べるものなども含まれます

高級なもの、グルメ、

マスコミや企業の

買わせるためにヒット商品を作りだす戦略

「スーパーフード」といわれる物などに飛びつく、

安いもの、オーガニック以外は食べないなとと

贅沢なことをいう

綺麗を求めるあまり、身体によいといわれる食品やらサプリメントに飛びついて

それらが身体に合わないこともあるのに

 

 

キレイの執着で、

清潔にしすぎるために、

必要な自己免疫力も低下して

自分の身体が悲鳴を上げていることにも気づかないのです

 

 

また、他人に対しての嫌悪感が芽生えてきて、

そのことに対する苦しみもあるでしょう

 

 

キレイの価値観を人に押し付けるのは、

された方は大変なストレスです

 

 

くつろぐはずの家が

ネチネチ汚い呼ばわりされて

気持ちよく過ごせるわけがありません

 

 

同居人がいる場合は

人のことは、ほおっておくことです

自分の価値観をおしつけるべきではないです

どうしても自分の好きなようにしたいのなら

一人暮らしをするしかありません

 

 

自分の身体だけは清浄なものという妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめ、高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていくそうです

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

以前から、仏教に興味はあったものの、

どのように勉強したらいいのかわからずに

困っていました

 

仏教といっても、いろいろな宗派があり

どれを参考にしたらいいのか・・・

 

なかなかこれだ!という師に巡り合えず

数か月が過ぎたころ、

 

先日ある禅士の勧めで読んだ本に

心を動かされました

 

「心に怒りの火をつけないで」~ブッダの言葉(法句経)で知る慈悲の教え /    角川文庫

 

 

その後、その著者、スリランカのお坊さんが

日本にいることを知りました

 

日本テーラワーダ仏教協会の

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 

 

ブッダ、釈尊の根本的教えを学ぶことができます

 

 

根本仏教協議

 

スマナサーラ長老の法話をこのHPで読むことができます

毎日、長老の教えを学ぶことが楽しくてしかたない今日この頃です

コロナショックの教訓

パンデミック

コロナウィルスショックで

世界中の人たちが

強制的に外出禁止

または少しでもリスクを下げるために

なるべく自宅待機を迫られています

 

 

思わぬ時間の余裕ができて

今までできなかった家の片づけをしたり

家族団らんや

趣味を楽しんだり

人それぞれの時間を過ごしていることと思います

 

 

私もイベントが中止になったりと

時間ができたので

いつものように何か仕事に役立つ情報はないかと

仏教についてもっと勉強しようかとネットサーフォンをしていて

ある人のブログにたどり着きました

 

 

自分の子供の時からの持病

このせいで、今までいろいろなことをあきらめざる負えなかった

辛い病気・・・

これだけは

どうしてもレイキで治せないので

自分の前世のカルマなのかとあきらめていたのですが

そのブログを書いている方に

霊障かもしれないと言われ

驚きました

 

 

どうりでレイキが効かないわけです

 

 

それがきっかけで

「生きる意味」「死」

について真剣に考えるようになりました

その答えを探しているうちに

やはり仏教をもっと真剣に勉強するべきだと気づき

毎日励んでいます

 

自分の人生を振り返り、反省することばかりです

 

霊気を始めた時から

自分の心境の変化は感じていたのですが

究極のストレスフリーのカギは

仏教にあるのかもしれません

 

 

ブッダ(お釈迦様)は

過去を悔やんでばかりいるのは

まるで死体を背負って歩いているようなものだ

 

そしてそれは不幸になる練習をしているようなものだといっておられます

反省はこれくらいにして、

善行に励まなければいけません!!!

 

今のままでは確実に地獄行きですし・・・

 

 

コロナショックで

これからの生き方を見直さなければいけないと感じている人は

大勢いると思います

 

 

ウィルス感染で亡くなられた方

重症化して苦しんでいる方

また大変な思いをしている医療関係の方など

大変お気の毒ですが

私たちもこれからの人生を

どう生きていくのか

よく考えさせられるいい機会になったのではないかと思います

 

 

私は、この状況で

待機する家があり、

思わぬ仏教の勉強をする時間ができたことを

周りの人、神様に感謝し

今後はもっと人助けになる仕事をして

心の境涯を高く

慈悲のある人になれるように

明日死んでも悔いがないように

毎日を大切にしていきたいと思います