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6 27, 2020

キレイの価値観も人それぞれ

人間のキレイの価値観

 

ある部屋をみて、

その家の人は

昨日掃除をしたと言っても、

 

「まあまあ片付いていてキレイ」

と思う人もいれば、

「服やら物が置きっぱなしで汚らしい」

「部屋のすみのホコリ」が気になる人や

匂いが嫌だと思う人も

 

Aさんのキレイの価値観

Bさんのキレイの価値観

Cさん、Dさん・・・

誰一人同じではないのが普通です

 

自分の家をきれいにしておきたいために、

家族や同居人に自分の価値観を押し付ける

潔癖症気味の人たち

 

他人の足や手は汚いので、

家に上がるときに足を拭いてほしいとか

手を洗ってくれとか

(今はコロナ感染予防もありますのでしかたないですが)

どこにも汚いところに上がってなくても

靴が汚いので、その足で上がられると汚いそうです

 

そういう自分は、同じスリッパを

全く洗わずにずっと履いています

十年来大切にしているブランドの靴も相当汚いはずです

お使いのスマホやらバック、どこかに置いたり、触ったりした後、

毎度毎度 消毒してなければ、きっとばい菌だらけですよ

 

フローリングの廊下は、

綺麗に拭き掃除もできますが、

何十年も使っている絨毯などどれだけ垢で汚れているか

 

家の中だって十分に汚いのに

 

とにかく、人のことは汚いのです

 

 

人間は不浄である

と お釈迦様は言っています

 

以下

テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のパティパダー巻頭法話より

悪魔に勝つために① 自分は美しい人間か 

身体は穢いものです。それは事実です。その証拠にあなたは毎日のように入浴をするでしょう。
一週間ほどからだも顔も洗わず、歯も磨かず、下着もそのままにしていたらどうなるでしょう。結果は想像できますね。人間はみなおいしいものを食べます。しかし、おいしいと思ったその食品も口に入った途端汚いものに変化していきます。ちなみに、自分の大好物な食べものをひと口噛んだあともう一度手のひらに戻しその大好物だった食品をよく観察してみてください。それからその一度噛んだ食品をもう一度口のなかに戻してみましょう。ちょっと常識ではできませんね。実際それをやらずとも想像するだけでも試してみる自信のある人などいないはずです。

咳、痰、膿、尿、便、汗、鼻くそ、耳垢をはじめ、胃や腸など内臓など自分のものでないかぎり他人を不快にするものばかり人間一人一人が所有しているのです。さらに言えば、口から入ったものは内臓を下に行けば行くほど不浄なものに変わってしまい最後は大便として排出されてしまいます。

人間の肉体はまさに不浄の塊、不浄の工場といった観があります。

ところで、不浄随観ふじょうずいかんは仏教の瞑想法のひとつです。からだが清浄なものとおもっている妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめます。高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていきます。

 

 

掃除の仕方にしても

人それぞれ、キレイの価値観は違うので

キレイになってない、気に入らないということになるのでしょうが

 

例えば、そういう人の場合

朝、水拭きしたキッチンの廊下

数人が使えば、半日でも床はうっすら汚れるのに、

昼過ぎに、こんなに汚いのに、どこを掃除したのだ

といったりするでしょう

 

そんなにピカピカにしなくても

あなたの足の方が汚いのですよ

足の裏からは汗をかき、

汚い絨毯を歩き回っているのですから

 

 

自分の場合

一日一回は必ずシャワーを浴びて

インナーは洗った服、短時間着用の場合や、汗をかかなかった場合は、スカートなどは2回着るときもあります。

 

靴の中はたまに洗うし、インソールを使ってを洗います

靴下は汚れたところを歩いた場合はすぐに家に入るときに脱ぎますが

今いる場所は絨毯なので、どうせ完全にきれいにできないので

あまり気にしません

掃除は週に3回ほど

他は気になった細かいところは、その都度掃除する

ミニマリスト的な生活が好きなので、

物が非常に少ないので、掃除も楽です

(いつも、私が死んだあとは、片付ける人楽でいいだろうなーって思います(笑))

 

それ以上やる必要もないし、十分清潔で汚れているとも思いません

やらない人を射たらきりがないですが、

これでもキレイ好きな部類にはいるのではないでしょうか

(これも、比べようがありませんね)

どうせこの瞬間も、身体は生きてる限り不浄になるのだから

気にしても苦になるだけ

人に迷惑をかける(そばによると臭いなどは、やはり害ですよね)ことは絶対ない程度にすればオッケーだと思います

 

潔癖症はある意味、精神病です

 

このように自分のからだが清浄だという思いこみがある人は

自分に対する妄想や苦しみ、悩みは増量される一方で

快楽に執着し異性に対する想念も倍加し肉体の快楽をいつも求めてしまう傾向があるそうです

このような人たちは、物にも執着するので、

高級品好きで、さらに所有物の数が多い

そして執着で捨てられないので、家はものだらけ

 

快楽というのは食べるものなども含まれます

高級なもの、グルメ、

マスコミや企業の

買わせるためにヒット商品を作りだす戦略

「スーパーフード」といわれる物などに飛びつく、

安いもの、オーガニック以外は食べないなとと

贅沢なことをいう

綺麗を求めるあまり、身体によいといわれる食品やらサプリメントに飛びついて

それらが身体に合わないこともあるのに

 

 

キレイの執着で、

清潔にしすぎるために、

必要な自己免疫力も低下して

自分の身体が悲鳴を上げていることにも気づかないのです

 

 

また、他人に対しての嫌悪感が芽生えてきて、

そのことに対する苦しみもあるでしょう

 

 

キレイの価値観を人に押し付けるのは、

された方は大変なストレスです

 

 

くつろぐはずの家が

ネチネチ汚い呼ばわりされて

気持ちよく過ごせるわけがありません

 

 

同居人がいる場合は

人のことは、ほおっておくことです

自分の価値観をおしつけるべきではないです

どうしても自分の好きなようにしたいのなら

一人暮らしをするしかありません

 

 

自分の身体だけは清浄なものという妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめ、高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていくそうです